日本の家庭では、大抵お茶碗と箸は自分の物はこれ、と決まっています。
お父さんは大きくて青っぽいお茶碗に太くて木製の箸、お母さんは赤っぽくて小さめのお茶碗に細めの塗り箸、坊っちゃんはアニメのキャラクターが描いてあるお茶碗に小さなお箸、という具合。
ところが、欧米では、ナイフやフォークが誰のもの、と決まってはいないようです。
大体どれも似たような銀色で大きさも変わりがありませんから、当然といえば当然です。
欧米では、誰それのフォーク、という習慣がないかわりに、マイナプキンが決まっているそうです。
旅行や外出にマイ箸を持ち歩く自称エコな人が近頃頻出しているようですが、欧米ではマイナプキンを持ち歩く人が多いとか。
なんでかな、と思ったら、「身辺の日本文化」という本に、興味深い記述をみつけました。
ヨーロッパで一般庶民がナイフとフォークを使うようになったのは、ほんの200年ほど前からだ、というのです。
それまでは、スープは木製のスプンで、パンやおかずは手づかみで食していたため、非常に手が汚れる。
そのため、ナプキンは必需品で、それぞれ自分のナプキンを持っていたらしいのです。
なんでもロシア革命のとき、オツムが赤く染まった農奴たちは貴族の屋敷や宮殿に押し入ってナイフやフォークを目にし、これは何をするものじゃ、と不思議がったそうです。
ナイフやフォークにくらべ、箸を作るのは極めて簡単です。
極端な話、そこらで適当な木の枝を拾ってきて、握りやすい長さに切り、ちょっと磨いて水洗いすれば、すぐに食事に使えます。
そんな風に作ればそれぞれ特徴のある箸ができましょうから、気に入った箸を自分のもの、とすればよいわけです。
そのため、箸は西洋の食器が調うはるか昔から、北東アジアで使われていたようです。
和食にしても中華にしても箸で食事するシーンは、変に旨そうだし、優美にも粗野にも、どちらにしても絵になりますね。
昔NHKの「独眼竜政宗」で、勝新太郎演じる秀吉が、高級な箸や器を使いながら、飯をかき込んだり、芋を刺し箸したりして、粗野な食事ぶりがいかにも成り上がり者らしく感じられました。
同じ食事を、例えば足利義昭が食せば、当然全く違った趣になるでしょう。
日本のドラマは食事のシーンが多いとよく言われます。
それというのも、箸での食事は絵になるし旨そうだからでしょう。
近頃ニューヨークのフレンチシェフは最低半年以上京都の料亭で修行するのが当たり前、とか。
フレンチシェフが和食を学ぶというのはよくわかりませんが、料理の異同を超えた料理人の魂のようなものが、京都では感じられるのかもしれません。
どうせならニューヨークではなく、本場フランスのシェフに留学してもらいたいものです。
私は高級料理はもちろん、大衆的な牛丼やラーメンも含め、日本の飯は世界一旨いと思っています。
今夜も使い慣れたお箸で、おいしい和食を食しましょう。
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