終末

思想・学問

 数年前から、古代マヤ文明にみられる2012年12月21日頃に世界は終末を迎える、という風説が流布され、世界を混乱と狂騒に導いていますね。

 「2012」なる映画まで製作され、ヒットしたとか。

 古代マヤ文明が栄えたメキシコでは、その日に何が起こるかを見届けようと世界中から観光客が押し寄せるそうです。

 また、フランスのピレネー山脈にある小村では、ピレネー山脈の神秘的な力によって終末から逃れられるとされ、こちらにも多くの人々が集まるようです。
 中国では蝋燭や非常食が飛ぶように売れ、絶望した中国人男性が23人に刃物で切りつけるという無差別殺人を敢行したとか。

 困っちゃいますねぇ。

 一方わが国では、最後の審判を説くユダヤ・キリスト・イスラムのアブラハムの三宗教がまったく根付いていないことから、世界の終わりという概念にさしたる興味を示しません。

 私が思い出すのは、1999年の7月ですかねぇ。
 当時大流行したノストラダムスの大予言によると、この時期に世界が滅ぶとされ、わが国でも安いオカルト番組で面白おかしく取り上げていました。

 しかし件の予言には、「1999年7の月、空から恐怖の大王が降ってくる。その前後、マルス(米国という説が有力)は正義の名の下に世界を支配する」としか書かれておらず、必ずしも終末を指してはいないのですよねぇ。

 恐怖の大王を核兵器だとする説や巨大隕石だとする説が唱えられました。

 しかし今から思えば、2000年の9.11テロのことだったのではないか、という意見が有力になっています。
 飛行機など存在しない時代のフランス人が、幻視によって9.11を見たとしたら、高層ビルに突っ込んでいく飛行機は恐怖の大王に見えたことでしょう。

 世界の終わりという観念には、どこか人を浮かれさせる作用があるようです。
 終末願望とでも言うんでしょうか。

 わが国でも平安時代に末法思想というのが流行りましたね。

 ただしこれは、お釈迦様の入滅後、1,000年間は正しい仏法が残り、次の1,000年間は像法と呼ばれる形ばかりの仏教に堕し、その次の1,000年間で仏教は衰退する、というもので、終末思想とは大分趣を異にします。

 醜い争いに明け暮れた戦争の歴史でしかない人類史を一度リセットし、新たな世界を切り開きたい、という極端な願望は、私自身の中にも厳然として存在します。

 しかし、リセットしたところで、また同じような殺し合いをするのだろうという絶望にも似た気持ちもあります。

 1999年7月に何も起こらなかったように、今週に迫った2012年12月21日前後にも、何も起こらないでしょう。

 人々はその日、淡々と飯を食い、糞をひねり、仕事をして、風呂に入って一杯やって眠るのです。
 それが人間の生活というものです。

 しかしもし、巨大隕石が衝突して、終末を迎えるのだとしたら、私はそれを切望してやみません。

 私にも、終末を心待ちにする愚かな心性が備わっているのです。

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