社会・政治

 清水寺が毎年年末に発表する今年の漢字。
 今年はだそうです。
 私はという語感に嫌悪感を持っています。
 なんだかいかにも安っぽく、オツムの弱い不良少年が振りかざす語のように感じるからです。
 
 というと、私は米国の社会学者で、ジェンダー論や文学論を専門にしていたイヴ・コゾフスキー・セジウィックが80年代半ばに発表した
男同士の絆―イギリス文学とホモソーシャルな欲望」(原題:Between Men)という論考を思い出します。

 シェイクスピアからディケンズまで、英国の19世紀までの文学を取り上げて、なかなか興味深いものです。
 ジェンダー論でありフェミニズム論でもありながら、あえて文学作品に見られる男社会、あるいは男同士の関係を追究することで、女性や同性愛者など、ジェンダー面での社会的弱者の存在を浮かび上がらせる、という面白い方法を採っています。

 男社会には、同性愛への欲望と、それとは逆に同性愛嫌悪があって、それが縄のように連なっているとします。
 そしてまた、女性への欲求とともに、女性嫌悪とでもいうべきものが男社会には存在する、と指摘します。

 それは多分、男社会という社会的単位のみならず、男性個人の中にも、同性愛への欲求と同性愛嫌悪、女性への欲望と同時に女性嫌悪が存在すると私は感じています。

 それは言わば、性的な絆すべてに対する欲求と嫌悪と言ってよいでしょう。

 女性差別や同性愛者差別を告発するというフェミニズム論の方法は、逆説的ですが、女性や同性愛者たちを社会的弱者として固定化させてしまう、という指摘はなかなか見事ですねぇ。

 それがため、男性社会の在り様を探ったというわけです。

 発売当時、私は高校生でしたが、理論書としては抜群に面白い、エンターテイメントを読むような感じでしたねぇ。
 フェミニズム論やジェンダー論を専門にするおっかないお姉さまたちにも多大な影響を及ぼしたと聞いています。

 でもそれが英国文学というのが意味深ですねぇ。

 国民性ジョークというのがあります。

 
男二人と女一人が無人島にたどりついたら?
  イタリア人⇒男二人は決闘する。
  フランス人⇒仲良く3Pを始める。
  ロシア人 ⇒女は放っておいて男二人でウォッカを飲む。
  日本人  ⇒どちらが女とくっついたらよいか本社に確認する。
  ドイツ人 ⇒なぜこんな状況に置かれたのか哲学する。
  英国人  ⇒女は放っておいて男同士でいちゃいちゃする。

  と言いますから、英国文学を題材に採ると、必然的に男同士の話になっちゃうのかもしれませんねぇ。

 わが国の男女の性愛と男色を平等に取り上げた「色道大鏡」なんかをフェミニズム論の立場から論考してもらったら、面白いでしょうねぇ。  

男同士の絆―イギリス文学とホモソーシャルな欲望
Eve Kosofsky Sedgwick,上原 早苗,亀沢 美由紀
名古屋大学出版会
色道大鏡
藤本 箕山,新版色道大鏡刊行会
八木書店

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