精神障害発症からおよそ10年。
当初うつ病と診断され、その後双極性障害に変わりました。
通院服薬、自助グループへの参加、千葉障害者職業センターでのリワーク・プログラム参加など、使える物はなんでも使い、ようやっと、ここ4年ばかりは薬を飲みながらもフルタイムでの仕事をつづけ、完治に至ったのかなと、思っています。
しかしこの病気は再発が極めて多いため、油断はなりません。
症状がきつかった頃、求めていた境地に今、達したのだと思いますが、何かがおかしいと感じます。
平たく言えば、それほど嬉しくないというか。
考えてみれば、ずっと健康であり続けている人であっても、何らかの悩みや苦しみを抱えて生きているはずで、精神障害を克服したと言っても、それら当たり前の悩みや苦しみから逃れられるはずもありません。
私の今の正直な気持ちは、なぜかここまで、生きてきちゃった、といったところでしょうか。
ああしてこうしてこうなった、ということは自分が一番よく分かっているつもりです。
そしてまた、私はどうしても、私独りで、孤独な戦いの末に今に至った、という傲慢な思いを捨てられません。
もちろん、主治医や、リワーク・プログラムや自助グループの仲間、また、両親や兄弟、そして何より同居人の忍耐強い見守りと援助が重要な要素であったことは間違いありません。
しかしそうであっても、結局のところ、精神障害のような極めて個人的な精神上の事情が影響する病においては、当事者が七転八倒の苦しみの末、自らの治りたい、という強い意志がなければ、なかなか良くならないのではないかと思います。
身体の病気とは、そこが根本的に異なるものと感じます。
そういう意味では、私はこの10年、同居人と旅行に行ったり、親類との宴会に出たり、職場で仕事をしたりしてきましたが、おのれの精神の闇とでもいうべきものが、現実社会との間に、うっすらとした幕とでも言い様がないものを作り出し、その薄い幕ごしにしか、私は社会とも、人とも接することが出来ず、要するに世界に私独りしか人間は存在しない、という思いを抱き続けざるを得ませんでした。
これはなかなかしんどいことです。
恋に陥ると、世界に人間は恋人と自分の二人しかいない、という感覚に陥りますね。
この感覚は、男女問わずほとんどの人が一度は経験したことがあるのではないかと思います。
そういうロマンティックな、生殖のためだかなんだか知りませんが、脳が見せる普遍的な幻想のような感覚とは、全く異なる絶対的孤独感とでもいうべきものが、私を襲い、ほぼ完治したと思っている今も抜けがたくそれは在るのです。
この感覚は、おそらく精神障害者特有のものではありますまい。
なんとなれば、思春期の少年少女は、多かれ少なかれそういった感覚に捕らわれるものだからです。
そうなると、精神障害というもの、人間が根源的に持っている孤独感を炙り出すという作用を持っているように思えてなりません。
精神医学は高度に進歩し、眠れなければ睡眠導入剤、落ち込めば抗うつ薬、不安なら抗不安薬、幻覚や幻聴があれば統合失調症の薬が処方され、多くの精神障害者を救ってきたのは事実です。
しかしそれらの薬はいずれも対症療法であって、根本的に人間精神の不調を治癒せしめる力はありません。
私はこれから、精神医学の限界を知りつつもそれに頼り、しかもおのれ独りの孤独な戦いを不断に続けることしか、生きていく方法が見当たりません。
ほぼ完治した今こそ、勝って兜の緒を締めよ、という気分ですねぇ。
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