今日他機関とのオンライン会議がありました。
その席で懐かしい顔を見ました。
もう30年近くまえ、某機関で一緒に働いた男です。
当時はお互い20代の前半から半ばくらい。
その時は生意気にも一人前だと思っていました。
私の業界では、全国異動を受け入れれば、管理職になります。
その代わり、北海道から沖縄まで、どこに飛んでいくのか分かりません。
しかもわずか2年か3年で異動させられます。
当然、次はどこに行くのかばかり気にしています。
いわゆるドサ周りです。
もちろん、ドサ周りをしなくても出世する人はしますが、ドサ周りをすれば確実に出世します。
出世して引越し貧乏になるか、首都圏のみの異動でのんびり暮らすか、それは人生の選択です。
私は2年か3年でどこへ行くのか分からないなんて無理なので、地元から離れないことを選びました。
出世といってもノンキャリなので、たかが知れていますし。
その懐かしい男は、帯広で働いていたこともあります。
頭はすっかり薄くなり、残った髪も真っ白で、信じられないくらいでっぷりと太っていました。
私と同い年です。
私も若いやつから見れば相当老けているのでしょうね。
しかし私は時の流れとともに自然と老いることは美しいと思います。
私は幸いと言うべきか、不幸にもと言うべきか分かりませんが、禿にもならず、白髪にもなりません。
体重もさほど増えていません。
頭髪が老化しない代わりに、皺や染みなど、お肌が衰えた感じがします。
1980年代前半の名画「黄昏」では、美しい湖畔で暮らす老夫婦とその娘家族との日常が描かれます。
そこで夫は老いた妻に「皺の一本一本までが美しい」と静かに語ります。
印象的な場面です。
年老いて若く見えようとするなんて愚かなことです。
老いるのは赤ちゃんが成長するのと同じこと。
時の流れに抗うのは無駄なことです。
美しく自然に老いれば良いのです。