美味しうございました、という言葉に、これほど美しい純粋な魂と、同時に怨念を感じさせたのは、1968年の今日、1月9日に27歳の若さで自殺したマラソンの円谷幸吉選手をおいて他に知りません。
父上様母上様 三日とろろ美味しうございました。
干し柿 もちも美しうございました。
敏雄兄姉上様 おすし美味しうございました。
勝美兄姉上様 ブドウ酒 リンゴ美味しうございました。
巌兄姉上様 しそめし 南ばんづけ美味しうございました。
喜久造兄姉上様 ブドウ液、養命酒美味しうございました。
又いつも洗濯ありがとうございました。
幸造兄姉上様 往復車に便乗さして戴き有難とうございました。
モンゴいか美味しうございました。
正男兄姉上様お気を煩わして大変申し訳ありませんでした。
幸雄君、秀雄君、幹雄君、敏子ちゃん、ひで子ちゃん、良介君、敬久君、みよ子ちゃん、ゆき江ちゃん、光江ちゃん、彰君、芳幸君、恵子ちゃん、幸栄君、裕ちゃん、キーちゃん、正嗣君、立派な人になってください。
父上様母上様 幸吉は、もうすっかり疲れ切ってしまって走れません。
何卒 お許し下さい。
気が休まる事なく御苦労、御心配をお掛け致し申し訳ありません。
幸吉は父母上様の側で暮しとうございました。
円谷幸吉の遺書全文です。
彼は東京オリンピックのマラソンで銅メダルを獲得、次のオリンピックで金メダルを目指すも、コーチの介入で婚約が破断になったり、病気をわずらったりして痛ましいことに自ら首を切って果てました。
川端康成はこの遺書を、千万言も尽くせぬ哀切、と評しました。
三島由紀夫は、この崇高な死をノイローゼなどという言葉で片付けたり、敗北と規定したりする、生きている人間の思い上がりの醜さは許しがたい、と怒りをあらわにしました。
沢木耕太郎は、幼いころ聞いたまじないや不気味な呪文のような響きがある、と述べました。
人が自ら死ぬということについて、理由や動機を単純に決めつけることなどできるはずもありません。
そこには必ず、激しい魂の漂流があったことでしょう。
それにしてもこれほど多くの文学者に感銘を与えた遺書を残したスポーツ選手は、彼をおいて他にはいないでしょう。
彼に文才があったとかいう問題ではなく、そこに素朴な真実の発露が見いだせるからかと思います。
時あたかも高度経済成長の真っ最中。
その中で国威発揚を求める時代の空気が、一マラソン選手をして自死にまで追いやる奔流となって流れていたことは、誠に痛ましいかぎりです。
そういう意味では、最近のオリンピック選手はずいぶん気楽になったのではないでしょうか。
それが証拠に、ほとんどのオリンピック選手はインタビューで「試合を楽しみたい」と発言します。
悲壮感がなく、爽快な感じがします。
良い時代になったものです。
責任感が強いことは悪いことではありませんが、その責任感が人を追い詰めることはよくあることです。
卑近な例で恐縮ですが、私がうつ病を発症したのも、必要以上に責任感を強く持ってしまったことが原因の一つです。
でもその経験のおかげで、私はずいぶん軽やかに生きることができるようになりました。
私が失敗をしたって、責任をとるのは上位の席に座る管理職。
私のような下っ端は、口では叱られても、結局はお咎め無しでしょう。
どうしても我慢できなければ、出勤拒否をしてしまえば良いのです。
今のご時勢、精神障害だからと言って簡単にはクビにできませんし。
円谷選手がそのようないい加減で無責任な面を持っていれば、このような悲劇は防げたものをと、残念でなりません。