老いの先

文学

 もう20年も前のことになるでしょうか。
 田舎の某市長が、市役所で夫婦共働きをする者は給料を半分にする、と言いだしました。
 某市役所で職場結婚すると、二人で一人分の給料にするということです。

 これは明白な法律違反です。

 当然、総務省からの指導により、この愚かな政策とも言えない制度はオシャカになりました。
 それでも某市長、「市民の理解は得られると思う」と嘯いて見せました。
 市民を馬鹿にした発言です。

 もしもこのような制度があったなら、市役所職員同士の結婚は無くなるでしょうし、すでに婚姻関係にある夫婦は片方が退職するか、偽装離婚するでしょうね。

 労働の対価としての賃金の意味が分からないお馬鹿さんです。

 このニュースに触れた時、役人の賃金は安ければ安いほどよく、生きぬように死なぬように遇するべきだとする考えを持つ者がいることに驚愕を覚えました。

 誰もがお金を稼ぐために労働しています。
 公務員の給料は生活保護みたいなものなのでしょうか。

 後日、首都圏とは異なり、田舎の役所は同じ地域の企業よりもずっと良いお給料をもらっていることを知りました。
 それでそんな発言が飛び出したのでしょうか。

 今、年金の支給は65歳からとなり、役人の世界では60歳でいったん退職して退職金をもらい、本人が希望すれば65歳まで再雇用しなければならないことになっています。
 ただし、現役時代と同じ仕事をしていても、給料は半額になります。
 それでも多くの人が再雇用を望むのは、年金支給まで食いつなぎたいと考えるからだと思います。

 今後段階的に定年年齢は上がり、私の定年は65歳になります。
 しかし61歳になると、給料は7割に減額され、役職も降格となるんだそうです。

 年を取ると使い物にならなくなるから、という理屈でしょうか。

 今後ますます少子高齢化が進み、現役世代が減っていき、高齢者の労働力に頼まなければならないというのに、高齢者の勤労意欲を削ぐようなことをするのですね。

 40年ちかく勤めて、まるで姥捨てのようなことになるなんて、わが国は貧しくなりました。
 これからますます貧しくなるでしょう。

 筒井康隆の小説に「定年食」という短編があります。
 「メタモルフォセス群島」という短編集で読むことが出来ます。

 食料不足対策のため、定年を迎えると家族親族に食われなければならない世界を描いた気色の悪い作品です。

 また、藤子・F・不二雄に「定年退食」というSF漫画があります。
 こちらは定年を迎えると、ありとあらゆる行政サービスが受けられなくなり、食料が配給となった世界で、配給も受けることが出来ず、老人は見殺しにされていくというお話。

 現代を生きる高齢者は身につまされるかもしれません。

 老人を遺棄する姥捨山を描いた「楢山節考」は2度映画化され、後に制作された今村昌平監督の作品はカンヌでパルムドールを受賞し、世界に衝撃を与えました。

 

 

 昔から老人を邪魔者扱いする思考は延々と続いています。
 それは今も変わりません。

 さすがに食うとか捨てるとか極端なことはありませんが、老いの先に何が待っているかを思うと慄然とします。

 今は生涯独身の者も多く、私たち夫婦のような子供がいない者も多くいます。
 家族が老後の面倒を見るのが当たり前という時代はすでに終わっています。

 私は53歳で、まだ高齢者のうちには入りませんが、長幼の序などというのは絵に描いた餅だと思わざるを得ません。
 これから高齢者をめぐる環境がどう変化していくのか、真剣に観察しないといけないようです。