今日も良い陽気でした。
先般、去年履いていた夏のスーツのズボンをリフォーム店に持っていき、12センチウエストを詰めてほしいと頼んだところ、そんなに詰めたら形が崩れるからできないと断られたため、仕方なく千葉三越に夏用のスラックスを購入に行きました。
近年、夏はクールビズとかで、スーツを購入する必要が無くなったため、スラックスを2本購入しました。
痛い出費です。
痩せるにしろ太るにしろ、体型が変わると服代がかさむのですねぇ。
当たり前ですが。
休日履くチノパンはユニクロで購入したため、さほどの出費ではありませんでしたが、職場に履いていく以上ある程度の金額の物でないとだらしなくなり、勤労意欲が削がれるため、致し方ない仕儀と相成りました。
その後生まれて初めてリンガーハットでちゃんぽんを食いました。
餌場っぽいたたずまいに恐れをなし、今まで敬遠していましたが、なかなかいけるのですね。
驚きました。
午後は陽気につられて千葉市中心地を歩き回りました。
千葉市は政令指定都市で、本来は100万人以上の人口が基準ですが、現在96万人だそうです。
それでも千葉市中心地には大勢の人が歩いていました。
普段は行くことのない中心地から外れた古くからの住宅街にまで足を延ばしました。
古い町だけあって、神社やお寺が点在し、古い米屋や呉服屋、骨董屋などがあり、町の歴史を感じさせられました。
千葉市に住んで十数年経ちますが、初めて歩く場所で、興味深く、疲れを忘れて13,000歩以上も歩いてしまいました。
顔が少し焼けたようです。
私は地黒ですが、色白の人のように赤焼けする傾向があります。
どうも皮膚が弱いようで、以前、皮膚科医にアトピー素因があると言われたことがあります。
一見、アトピーっぽい感じは全くしないのですが、餅は餅屋と申します。
専門家の皮膚科医は一様に一目でそれを見抜いてしまいます。
どこを診ているのでしょうね。
何度か手湿疹で皮膚科に罹ったことがあり、通常は豆腐屋とか調理人などの水仕事の人がなるような症状だが、事務職で手湿疹に罹るのも皮膚が弱いというか薄いせいだそうです。
30歳過ぎの頃、突発性難聴に罹患したことがあります。
右耳がほとんど聞こえなくなり、それどころかまるで右耳の横で道路工事でもしているような激しい耳鳴りに悩まされました。
突発性難聴という名のごとく、突如症状が現れ、不快でたまらず、すぐに耳鼻科に行き、三か月くらい大量のステロイド剤を投与されました。
ステロイド剤は強い薬で、顔が丸くなるムーン・フェイスと、皮膚が薄くなる副作用が現れ、何度も皮膚科に罹ることになりました。
三か月のステロイド剤の大量投与のおかげで、右耳の聴力は大分回復し、耳鼻科医から著明回復ということで、服薬を終えました。
ただし、完治にはいたらず、日常生活に不便はないものの、検査をすると今も右耳に軽い難聴が残っています。
突発性難聴の患者は30代・40代の男性が圧倒的に多く、ストレス説、ウィルス説などがあるそうですが、未だに原因不明で、特定疾患に指定されています。
怖ろしいのは、発症から一週間以内に服薬を開始しないと、生涯難聴に悩まされることです。
私の職場にも、30代前半で突発性難聴を発症しながら、仕事を優先して医者に行くのが遅れ、今は補聴器をつけ、首から小さなマイクをぶら下げて仕事をしている人がいます。
会話するときは、その小さなマイクを相手に向けて、まるでインタビューをしているような姿です。
当然電話での会話は不可能。
今はメールでやり取りするのが一般的ですから良いですが、一昔前だったら外部の人とコミュニケーションをとるのが困難だったことでしょう。
私は熱にしろ咳にしろ、不快な症状に耐えられない体質らしく、仕事なんてそっちのけで発症するなり病院に行ったことが幸いしたようです。
人間も機械と一緒で、経年変化とともに必ずどこかに変調をきたします。
それが内臓なのか目や耳なのか、あるいは私のように精神なのかはともかく、老いるということは体にガタが来ることと同義のようです。
今、私は自覚的には精神症状を感じていません。
感じなくなってから、4年くらい経ちます。
次はどこが悪くなるんでしょうね。
悪くなるにしても、痛いのやしんどいのは嫌ですねぇ。
しかしそうはいっても、誰もが痛いのもしんどいのも嫌なはずで、しかしそれが起きたら我慢して闘病しなければならないわけです。
誠に生きるとは面倒なことです。