年齢に対する認知というのが、時代とともにずいぶん変化してきているように思います。
「敦盛」では、人間五十年と謡われます。
五十が寿命としたら、40代はもう老人。
昭和初期の雑誌に40代後半の谷崎潤一郎のことを谷崎翁と記していて、びっくりしたことがあります。
近頃では、アラフォーなどと言って、40歳はまだまだ若い、という風潮です。
しかし世界で最も貧しい国の一つとされるシエラレオネでは、平均寿命はわずか42歳だそうです。
学生の頃は、4月が来れば学年が一つ上がり、小学校から中学校、高校、大学とそれは続き、自己の年齢に対する違和感はありません。
しかし社会人になると、個人差が出てきます。
好きな仕事をしてストレスの少ない人は若々しく、食うために嫌いな仕事を必死で続ければ、老けこむのも早いでしょう。
また、好きな仕事でも、漫画家や力士などの過酷な労働環境にあっては、平均寿命を維持するのは困難です。
社会人は部下を持ったり、役職が付いたりすると、そういう年になったんだなあ、と実感します。
結婚したり子どもができたり、また自分の子どもが結婚したりすれば、いやでもおのれの年齢を感じるでしょう。
しかし最近、堂々と老けることを嫌う傾向があるように思います。
雑誌を開けばダイエットだ、美容だ、アンチエイジングだと、実年齢より若く見えることを美徳としているかのようです。
たかが五つか六つ若く見られたところで何の得にもなりますまい。
むしろいい年をして頼りないと思われるのが関の山。
若さを保とうなんて、人間の所業ではありますまい。
老けない人間などこの世にいないのですから。
由美かおるとか吉永小百合とか、あんまり老けないのでかえって化け物じみて見えます。
郷ひろみも痛々しい。
それに比べて、堂々と老けている松坂慶子や沢田研二はなんだか頼もしい感じがします。
私もそうありたい。ていうか、そうなっています。
でっぷりしたおやじになって、年より若く見られることはありません。
私の祖母は「あたしゃ年寄りだから」というのが口癖でした。
今思えば私が幼児の頃、祖母はまだ五十代だったはずですが、いつも着物姿で、三味線を鳴らしたり日本舞踊に耽ったりしていました。
それはもう、隠居した元大女将という貫禄が漂っていました。
諸行無常が世の常と知れば、自己の老化という逆らいようがない運命にあらがうことなど切ないかぎりです。
美しく生き、美しく老いれば、白髪の一本一本、皺の一つ一つが美しく光り輝くと思うのです。
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