勤労意欲の無さに苦しんでいます。
元々仕事は嫌いですが、嫌いなものはさっさと片づけて楽になろうという意味での意欲はありました。
50歳を過ぎた頃からでしょうか。
仕事を後回しにするようになり、いつもギリギリまで手を付けないのが当たり前になってしまいました。
じつはそういう人は結構いて、使えないおじさんだと馬鹿にしていました。
自分がそうなるとは思っていませんでしたが、人に起こることは自分にも起こるというのが一面の真実であるならば、私がそういう年になったということでしょう。
思えば出世とは縁のない社会人生活です。
ヒラでこそありませんが、一生ソルジャーです。
年功序列というのはじつは結構良い制度で、年とともに給料が上がれば結婚や出産も考えることができます。
また、地位が高くなれば手を動かす仕事は減り、会議に出て意思決定に参加したり、部下に指示を出すことが主になります。
人間年をくえば何事も億劫になりますが経験は積むので判断に適してきます。
それらが年功序列の良いところ。
しかし私のように、人生の一時期、病気で休職を繰り返すと、年功序列の恩恵に与れなくなります。
常に最前線で若い者の足手まといになりながらえっちらおっちら進むのが私の毎日です。
人間、過去を無かったことには出来ないし、やり直すことも出来ません。
病気は治っても、闘病に費やした時間は戻ってきません。
老兵は新しい武器の使い方も覚えられず、機敏に動くことも出来ません。
ただ死んでいないだけです。
消え去ることも出来ません。
戦線離脱は射殺です。
射殺されなくても、すぐに飢えて死んでしまいます。
進めば悲しい老兵としての毎日が、引けば年金も貰えず蓄えを崩しながらその蓄えが無くなることを恐れる日々が待っています。
蓄えはそこそこありますが、今と同じ生活を続ければ底をつくのは眼に見えています。
精神病に罹患して長期の病気休暇に入ったときは、とにかく復帰したい、という希望がありました。
しかし復帰後、給料は上がらず昇任もしないというあからさまな差別が待っていようとは。
一度でも精神障害に倒れれば、社会人失格なのだということを今更ながらに痛感しています。