自殺か、尊厳死か

その他

 米国の29歳の女性が脳腫瘍を患い、尊厳死を選ぶとSNSに書きこんだ後、医師から処方された致死量の薬物を自ら飲み、自殺したことが大きな話題になっています。

 尊厳死ではなくて自殺だと非難する声、尊厳ある死を選んだ勇気ある行為を称賛する声、じつにさまざまです。

 私はこのような重い話題を前に、ただ沈黙する他ありません。

 その女性を知らず、ただ報道で上っ面をなでただけで、良いとか悪いとか言うのは不可能だし、不謹慎であるように思います。

 亡くなった女性の心の奥を覗くことは、家族にも友人にもできず、まして私たち赤の他人には想像すらできません。

 人が自ら死を選ぶということは、重い決断ですし、苦痛があまりにひどいとしても、簡単に死ねるものではありますまい。

 あるカソリック信者は、「どんな状況でも、絶対に自殺は許されない」と憤っていましたね。
 それは信仰ゆえの信念なのでしょうから、尊重しなければなりません。

 しかし私は、苦痛に耐えるだけの延命でしかない治療を拒否することは、認められるべき権利であると思っています。

 自殺は自分を殺す殺人で、ただし加害者と被害者が同一人物であり、しかも死んでしまっているため誰も裁くことができません。
 せいぜい、中世のキリスト教徒のように、葬式をせず、死者を侮辱し、地獄に落ちると言いふらすくらいしかできません。

 自殺したら地獄に落ちるというのは生きている者への戒めであって、実際に自殺してしまった者の家族には、天国で幸せに暮らしていますよと慰める、お釈迦様の方便こそが、人を幸せにするもの言いだろうと思います。

 私はただ沈黙を守りつつ、亡くなった女性の冥福を祈ることしかできはしません。

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