色恋

文学

 毎朝毎夕、片道30分の通勤の車で、聞くともなく地元FM局のラジオを聞いています。
 いつも思うことですが、流行歌というのはどうしてこうも色恋沙汰を歌った破廉恥な歌ばかりなんでしょうねぇ。

 でもまぁ、ことは流行歌に限ったことではなく、文学作品でもそうなんですけどね。

 ある小説嫌いの男が、小説を嫌う理由として、小説には2種類しか無いからだと言っていたのが印象的です。

 ある時男と女が出会い、恋におち、めでたく結婚しました、という話と、ある時男と女が出会い、恋に落ち、別れました、の2種類だそうです。
 
 ずいぶん乱暴な分け方ですが、一面の真実は突いているような気がします。

 しかし今は推理小説やらホラー小説やらSF小説やらコメディやら、様々なジャンルがあって、ことはそれほど簡単ではありません。

 それにしても、色恋を描くのが文学作品の重要な役割であることは確かなようです。

 何事もそうですが、人には得意不得意があります。
 色恋にしてもそうです。
 やすやすと惚れた異性とくっつくことができ、しかも別れるや途切れなく次の恋人ができる強者もいれば、生涯色恋とは縁なく過ごす人もいます。
 勉強やスポーツと比べ、これは持って生まれた要素が大きいようで、それは何も外見の美醜とはあまり関係がないようです。

 美男美女でも一向にもてない人もいれば、お世辞にも外見が良いとは言えなくても、もてもてと言う人がいます。

 不思議ですねぇ。

 もう8年くらい前になりましょうか。
 職場の宴会で私が同世代の既婚者の男と隣り合わせて飲んでいたら、27歳の後輩の男が寄ってきて、相談したいことがあると言います。
 何を言い出すかと思えば、「僕、童貞なんです」とほざきよりました。
 私は苦笑しつつ、「お店行くしかないんじゃないの」と応えました。
 すると、「一人でお店に行く勇気が無いので、お金は出すから一緒に行ってほしい」となかなか美味しいことを言いやがります。
 私が「高級店ならいいよ」と言うその前に、隣の男が、「俺は結婚してるんだからな、店の前までは行けるけど、中には入らないぞ。とびおさんだってそうだぞ。ねぇ、とびおさん」と無粋なことをぬかし、「高級店ならいいよ」とは言えず、「ああ、まあ、そうだね」と言う他ありませんでした。

 惜しいことをしました。

 彼がその後どうしたかは知りません。
 ほどなくして、司法試験を受けたいと言って退職したからです。
 早稲田大学の法学部を出たと言っていましたから、仕事が物足りなかったのかもしれませんねぇ。
 でもそういう人が弁護士になって、どろどろの男女の愛憎劇とも言うべき離婚調停なんかするのかと思うと、先が思いやられますねぇ。

 人が人を恋うるということ、これはなかなか強い欲求で、独り道を究めるというのは困難に思えます。
 何も異性を恋うるということだけでなく、友人を恋い、家族を恋い、果ては犬や猫を恋うるなど、自分ではない生き物を恋うるのは、人間存在の根源に関わる欲求であるかのごとくです。

 しかしだからこそ、私は毎日毎日ひきもきらぬ俗物どもと接することに嫌気が差しています。
 私は私独りを恃んで、誰とも接せず、孤独に生きていくことに強い憧れを感じます。

 あぁ、初めて家を出て独り暮らしを始めた時のこの上ない開放感が懐かしく思い出されます。
 なんの因果か、独り暮らしはわずか3年ちょっとで、今度は赤の他人と暮らし始め、今も一緒に暮らしています。

 再び誰にも気を使わんでよい独り暮らしに戻りたいものです。

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