最近赴任した管理職から、奇妙なことを言われました。
「年はおいくつなんですか?」
「もうじき42になります」
「42ですかぁ。若いですね。夢がいっぱいですね。私なんかもうじき定年ですよ」
42といえば人生後半にさしかかったところ。
若いというのは非常に無理があるように思います。
まして、夢がいっぱいだなんてねぇ。
嫌味かブラック・ジョークにしか聞こえません。
定年退職したばかりの先輩が、老人会に顔を出したら最年少で、「そこの若い人」と呼ばれて面食らったそうです。
わが国は長幼の序の重んじるお国柄。
先輩を立てるのは当然にしても、成人した社会人同士なら、後輩を立てるのも大人の常識。
生まれた年が少々早いからというだけの理由で後輩を呼び捨てにしたり君付けで呼んだりするのはまことに見苦しいものです。
そういう愚かな習性を身につけて、自らを偉く見せようとでもしているのでしょうか。
したがって私は、どんな先輩でも、はるか年下の後輩でも、さん付けで呼び、敬語で話すように心掛けています。
○○ちゃんとか子ども同士のように呼び合うのも気味が悪いですね。
友達でもなんでもなく、単に給料をもらうためにほんの一時期、机を並べているだけだというのに。
親しさの押し売りは虫酸が走ります。
私はかつて、職場の宴会や、帰りにちょっと一杯というのにほとんど付き合ってきました。
しかし時代の変化とともにそういうことは廃れ、時を同じくして精神病を発症したため、医師から残業と、残業と同じような拘束でしかない宴会への出席を厳禁されています。
それはちょっとさびしいようでもあり、気楽なようでもあり。
一生精神病と付き合っていかなければならないのですから、私は小川を流れる木の葉のように、流されるままに流れていきたいと思うのです。