若さ

思想・学問

   私は毎日車で通勤しています。
 朝夕、車の中でラジオを聞いて過ごしています。
 ラジオではよく商品の売り込みのコーナーがありますが、ほとんど毎日、手を変え品を変え登場するのが、ダイエット商品と若返りのサプリメントです。
 両者は同じ根っ子を持っているに違いありません。

 要するに、いつまでも若々しくいたい、という欲望。

 この欲望を持つのは人間の、いや生物の本能とも言うべきなのかもしれません。
 しかし、絶対に叶えられない欲望でもあります。

 大体いくつ若く見られたら良いのでしょうね。
 100歳が90歳に見えたところでどうということもありますまい。
 60歳が20歳に見られるわけもないし。

 で、この願いが行き着く先は不老不死ということになるでしょうね。

 死にたくない、いつまでも若々しく健康でありたいと願うのは、気持ちは分かりますが、あまりにも切ないことです。
 叶えられない願いを持ち続けることほど切ないことはないでしょう。

 古くは秦の始皇帝が探させたという不老不死の妙薬。
 くだって、「銀河鉄道999」の機械の体、「火の鳥」などの漫画。
 誰も叶えたことが無く、物語の世界でそれを得た例があっても、必ず不幸になっています。

 最近お気に入りのSEKAI NO OWARIは、名曲「不死鳥」で、死を、今を大切にすることが出来る魔法、と歌って見せました。
 全くそのとおりだと思います。

 私たちの遺伝子は有性生殖を選択し、それがゆえ、死は必然となりました。
 親から子へ、子から孫へと、遺伝子は乗り物を新しく代えながら生きていきます。
 まるで車を新車へ買い換えるようです。

 であるからこそ、赤子の誕生は祝福されるのでしょうし、大人は赤子を見て可愛く感じるのでしょう。
 己の遺伝子を縦につないだということは喜ばしいに違いありません。

 私たち夫婦は不妊治療まで施しながら、結局、子宝に恵まれませんでした。
 同居人、とっくに諦めているはずなのに、今でも子を授かることが出来なかったと、時折嘆いています。
 ことほど左様に、人は自ら先祖の一人になる権利を得たいのでしょうね。

 私はと言えば、男と女の違いもあるのでしょうか、心底子供が欲しいと思ったことはありませんし、むしろ気楽に生きるうえでは弊害だというのが本音です。

 お釈迦様は出家前、子供ができ、ラゴラと名付けました。
 後の羅睺羅尊者ですが、その意味するところは障碍、要するに邪魔者だと言う説があります。
 出家の邪魔になると考えたのでしょうか。

 それはさておき。

 永遠の若さを求めることほど無意味で切ないことはありますまい。
 それよりも、美しく老いることを目指すべきです。
 それは肌艶の美しさなどではもちろんありません。
 生きてきた軌跡を顔に刻んだがゆえの美しさこそ、真に美しいと言えるでしょう。