苦役

仕事

 9月に突入しました。
 ついに来てしまったと思うのは、何も夏休みの終わりを嘆く子供たちだけではないようです。
 私たちの業界も、8月の凪が嘘のように、猛烈に忙しくなります。

 かつて、月曜日が待ち遠しい、というコピーのCMが流れたことがあります。
 それは圧倒的多数のサラリーマンにとって、白けるCMでした。
 月曜日は憂鬱なのが当たり前で、それが待ち遠しいというのは、よっぽど暇な職場か、オツムが弱い人なのでしょう。

 働いて給料をもらうこと、この上なく苦痛です。
 これ以上の苦痛は、他に無いのではないでしょうか。

 己の時間を削り、さらには浪費し、ついにはお仕事ハイみたいになって朽ちていくのです。
 それがサラリーマンの真実。
 今では使ってはいけない言葉になっているようですが、現代の水呑百姓、あるいは非人。

 そのような現実にあって、多くの人はよく耐えていると思います。
 私はかつて精神病で長く休みましたが、それが当然の人間の暮らしだろうと思います。
 その当然の人間らしい暮らしが、病まなければ達成し得ないのだとしたら、人は何のために生まれ、何のために成長し、そして老いるのでしょうね。
 牛馬のように働いてわずかな禄を食み、死んでいくのが幸福だとはとても思えません。

 長期病気休暇から復活して12年。
 精神科医はその長い道のりを、精神病患者にあっては稀に見るサクセス・ストーリーだとほめてくれます。

 しかし私は、そんなサクセス・ストーリーなど、望んではいませんでした。
 精神病発症を良いことに、そのまま隠居生活に入ろうと思っていました。
 それを守護霊だか狐の神様だか何だか知りませんが、私に働くという無間地獄のような苦役を課したのでした。

 残酷なことです。

 この残酷な暮らしから逃れたいと思っても、それは切ないことです。
 食えなくなってしまいますから。

 食うために生まれたか、生まれたから食うのか。

 今の私は明らかに食うために生まれたとし言いようがありません。

 この地獄のような苦役の毎日を耐えれば、きっと楽になれるはずだと信じて、生きていく他ありません。
 就職してから30年。
 私はずうっと退職する日を待ち望んできました。

 その日がついにやってきたのなら、私は快哉を叫んで真に充実した日々を送れるものと思います。

 他人のため、組織のための苦役ではない、自分が自分らしく生きられる時間。
 それは何者にも代えがたいものだと思います。

 とにかくその日までは健康でいたいと思います。
 120歳までも生きて、国家の制度をしゃぶりつくして死んでいきたいと、切に願います。