島田修二という平成16年頃に亡くなった歌人がいます。
若い頃広島で被爆し、反戦めいた歌や反政府的な歌を多く作りながら、晩年は歌会始の選者になったりした、破天荒な人です。
家庭では問題のある父親であったらしく、両足が不自由であった息子を、大金を積んで中国人女性と結婚させ、大連に住まわせたり、息子の結婚に反対していた妻と離婚訴訟を三年も続けたり、歌の才はあっても、いやあったからこそ、困った人であったろうと推測します。
西行も妻と幼い娘を捨てて出家しました。
その際幼い娘を足下にしたというのは本当でしょうか。
お釈迦様も釈迦族の皇太子でありながら、王の務めを嫌い、おのれ一人真理を悟らんと、出家してしまいます。
悟りを開いて後も、しばらくは悟りの境地があまりに深遠であり、人々には理解不能であろうと考え、教えを説くことはありませんでした。
三度請われて、やっと悟りについて語り始めますが、最初のうちは本当に難解な説教だったと聞きます。
それが年を取るごとに分かりやすく、面白い話になっていったんだとか。
亀の甲より年の効ですねぇ。
島田修二もまた、年老いて力が抜けたのか、晩年、悟りを開いたのでは、とさえ思わせる秀歌を残しています。
来世より 見渡すごとく一筋の 道を歩めり ひと息の後
あらはなる 生おもむろに しづめつつ 草木國土 冬に入りゆく
どちらもスケールの大きい歌ですねぇ。
来世から今生の自分を照らす一筋の光の中で生きてきた、というのですねぇ。
私のような中年には、まだたどり着けない境地です。
次の歌は、登場人物がいませんね。
草木国土が生を鎮めつつ死の象徴である冬を迎える、というわけです。
草木國土は仏教用語の草木國土悉皆成仏(そうもくこくどしつかいじようぶつ)から採ったことは明らかでしょう。
草木や国土など、心を持たない無機物までもが成仏できる、存在する全てのものが仏性を有し、悟りを開ける、という考え方ですね。
惚れたのはれたのを詠む和歌とはかけ離れた、哲学的と言おうか、仏教的な和歌です。
あるいは和歌らしい和歌ではないかもしれませんが、人の心を打つことはなはだしい、極めて優れた和歌ですねぇ。
私は歌作をよくしませんが、老境に入り、死期を悟ったなら、歌作に挑戦してみたいものです。
![]() | 島田修二歌集 (現代歌人文庫 16) |
島田修二 | |
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