蓮翹忌

文学

 今日は蓮翹忌ですね。
 高村光太郎の忌日です。
 昭和31年の今日、73歳で亡くなりました。

 蓮翹(レンギョウ)の花が好きだったことから、この名前がつきました。

 高村光太郎というと「智恵子抄」が有名ですが、私は彼の戦後の行動に興味をそそられます。
 すなわち、戦意発揚のために多くの戦争詩を書いたことを反省し、花巻の片田舎に粗末な小屋を建て、反省の日々を過ごしたのです。

 勝負は時の運。

 敗れたからと言って、いちいち文化人が反省する必要などありません。

 反省するとしたら、敗戦を招いた政治家や軍人が、敗れたことを反省すべきであって、戦争が起きたことを反省したところで詮無いことです。
 なんとなれば、戦争は相手があってのこと。
 米国は太平洋を支配する欲望に駆られて何が何でもわが国を叩く決意を固めていたのですから、わが国がいくら譲歩したところで、戦争を避けることは不可能だったでしょう。

 連合国の宣伝を信じ込み、わが国が一方的に悪であったと信じるなど、高等教育を受けたインテリの取る態度ではありません。
 もう少し冷静になりなさい。

 多くの文化人が戦争協力に対する反省の意思表示を行っていたところ、小林秀雄だけは、「私は馬鹿だから反省などしない」と宣言し、巨大帝国主義国家同士の総力戦が行われれば、自国の勝利を信じて協力するのは当然である、と正論を吐いたわけです。

 旧軍が蛮行を働いたことはまごうことなき事実。
 しかしそれはお互い様。
 連合軍は枢軸国以上の蛮行を働き、だからこそ戦争に勝利したわけです。
 敵をより多く殺害し、敵の施設をより多く破壊したほうが勝つのですから、勝ったほうがより残虐行為に及んだのだと考えるのは自然なことです。

 人間の思想信条は変化していくものですが、私は時代遅れであってもおのれの信念を貫く人に惹かれます。

 ソヴィエト連邦崩壊後、ロシアに戻った後も、共産党の党員証を常に持ち歩き、共産主義の理想を語る老婆に、私は共感せざるを得ませんでした。

智恵子抄 (新潮文庫)
高村 光太郎
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高村光太郎 (講談社文芸文庫)
吉本 隆明
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