人間に限らず、生物というもの、老いは不可避です。
なんでも40代から、男は男性ホルモンが減り始め、女は女性ホルモンが減り始めるのだそうです。
性差は年を追うごとに小さくなり、おじいさんのようなおばあさんや、おばあさんのようなおじいさんが登場するというわけ。
これ、実感としても分かります。
あんまり高齢だと、見た目、男か女か分からない、ということはあると思います。
一方、思春期前の子供も、性差が少ないですね。
特に赤ちゃんや幼児は、男の子か女の子かよく分からない、という現象が起きます。
で、思春期に男性ホルモン、女性ホルモンが増え、生殖に適した大人へと成長します。
20歳を肉体的なピークとするなら、その20年後の40代から男性・女性ホルモンが減り始めるというのもうなずけます。
で、女性であれば閉経し、男であれば性欲はあっても体がそれに追いつかない、という事態に陥り、生殖が不可能になります。
野生の動物であれば、生殖が不可能になった時点で、ほとんど死に向かいます。
一方人間は、生殖能力をほぼ失って後も、何十年と生き続けるのが普通です。
40代以降、ホルモンが減ってくると、変に感傷的になることがあるそうです。
近頃、私はそれが自分に起きているように感じて、困っています。
わけもなく高校・大学時代のことを回想しては、猛烈にもう一度やり直したいと思ったり、今の疲れたサラリーマンでしかない自分を嘆いたり。
もしかしてうつ状態なのかなと思ったりしたのですが、どうも以前経験したうつ状態に比べると、さほどしんどくありません。
むしろ回想にひたり、青春時代をやり直すことを夢想するのは、メランコリックで甘美なものでありさえするのです。
思秋期という言葉を唱えている心理学者だか精神科医だかがいるそうですね。
中年から初老に至る頃、さらには老人に至る頃の動揺を指す言葉のようです。
思春期と大きく異なるのは、成長に向かう戸惑いとは真逆で、衰えに向かう不安ということ。
この差は大きいと思います。
思春期というのは、本人がどんなに悩もうと苦しかろうと、それは青春の思い出に変わっていき、時を経るほど甘美なものに感じられるようになることが多いものです。
しかし思秋期は、確実に死に向かうもの。
私は予定日の2か月前に生まれたりして、何事もせっかち。
老いへの不安と若かりし日への追慕が、47歳で始まってしまったようです。
毎日毎日、通勤の車の中などで、18歳から、いや15歳からやり直せるなら、私はもっと人生を真剣に生きられただろうとか、結局同じ結果を迎えるに違いないなどと、果てしも無い夢想に取り憑かれています。
かつて、人間(じんかん)50年などと言われ、人の世界で生きられるのは50年くらいと考えられていたと思います。
その頃なら、47歳の私は立派な老人で、老いの憂鬱に囚われてもおかしくありません。
しかし人生80年の現代、47歳で憂愁に囚われるのは早いような気もしますが、きっと男性ホルモンの低下が始まって、戸惑っているのでしょうね。
きつい男性更年期みたいにならなければよいのですが。