裏切り

文学

 今日は裏切りの日なんだそうですね。
 なんでも本能寺の変で明智光秀が織田信長を裏切った日だから、だそうで。

 裏切りという行為、おそよあらゆる宗教や道徳律の中でも、最も卑しい行為とされているようです。
 それでいて、人は裏切りという行為を止めることはありません。

 重大な裏切りから、ちょっとしたものまで、じつにさまざまです。

 キリスト教の司祭が教えを捨てるという重大な裏切りを描いた小説に、遠藤周作の「沈黙」があります。
 映画化もされ、近々、マーティン・スコセッシ監督がリメイク版を製作すると聞いています。

沈黙 (新潮文庫)
遠藤 周作
新潮社

 

沈黙 SILENCE [DVD]
篠田正浩,遠藤周作,遠藤周作
東宝


 江戸初期、日本に布教に来ていた高名な司祭であるフェレイラが転んだとの報告を受けて、彼の弟子であった若い司祭、ロドリゴが日本に密入国します。
 密入国の手引きをしたのがキチジロー。

 ロドリゴはキチジローの密告によって、長崎奉行に捕えられます。
 キチジローはこの裏切りを悔い、泣き叫んでロドリゴへの面会を望みますが、かないません。
 ちょっとキリストを裏切ったユダを連想しますね。

 ロドリゴは夜中、激しい鼾に悩まされますが、それは鼾などではなく、拷問を受けている隠れキリシタンたちのうめき声と知り、衝撃を受けます。
 しかも隠れキリシタンたちはすでに転ぶことを約束しているのに、ロドリゴが信仰を守っているがため、拷問から逃れられないのだと知ります。

 ここに至って、フェレイラが棄教したのも、同じ状況下に置かれたがゆえだと知るのです。

 神を裏切って転び、拷問に苦しむ元信者たちを救うべきか、彼らを見殺しにして、栄光ある殉教を選ぶべきか、迷いに迷うロドリゴ。

 神を裏切れば元信者たちを救うことができ、元信者たちを裏切れば栄えある殉教者として名が残る。
 神にいくら祈っても、沈黙を守るばかりです。

 ついに棄教を決意し、翌日、奉行所の庭ですり減ったキリスト像を踏もうとするや、神は沈黙を破るのです。
 踏絵が神となり、「踏むがよい、お前のその足の痛みを、私がいちばんよく知っている」と。

 じつにエキサイティングで示唆に満ちた力作です。

 「弱者に寄り添うキリスト」を描いた文学とされているようですが、私は、裏切りをめぐる物語として鑑賞しました。

 一般の日本人は、お寺や神社にお参りすることはあっても、深く宗教について考えることはほとんどありません。
 キリスト教徒における神は、わが国においては、世間様あるいはお天道様でしょう。
 人目を気にする、というのが、わが国の道徳律の根幹をなしており、そのことをもって裏切りは恥ずかしい行為として戒められます。

 しかしキリスト教徒にとっては、他人がどう思うかよりも、己自身と神との対話の中にこそ、道徳は強固に存在しているように見受けられます。

 私は誰かを自覚的に裏切ったという覚えはありません。
 しかし、もしかしたら、私はあらゆる人々を裏切り続けているのかもしれません。

 すべては心々。

 何が罰すべき、あるいは恥ずべき裏切りで、何が栄光へ繋がる行為であるのかなど、誰にも分るわけがないのですから。


にほんブログ村


本・書籍 ブログランキングへ