言語感覚

文学

 先ほど歌番組を見ていて、わがくにびとの言語感覚はいったいどうなってしまったのかと、腹立ちを禁じえませんでした。
 あまりにストレートな求愛、あまりにストレートな浅薄なメッセージ。
 それもいい年をした大人の歌い手が、そんなものを歌っています。

 それに比べれば、ほとんど意味がない、アイドルグループの歌のほうが、遊び心があって良いと思います。

 私の推測では、演歌なるものの流行が、浅薄な歌詞の歌を横行せしめた元凶であるように思います。
 好きだの愛してるだの惚れたのはれたの、そういうことをストレートに歌われると、聞いてるほうは白けちゃうんですよ。
 もっとあっさりと、しかし切なく、分かりにくく歌ってくれないと、白けちゃうんですよ。

 遥かなる 岩のはざまに ひとりゐて 人目思はで 物思はばや  西行法師

 この和歌などいかがでしょう。
 遥か山奥の岩のはざまで、ひとり恋の物思いに沈もう、というのです。
 奥ゆかしく、それだからこそ、情の強さを自然に感じますね。

 また、

 みじか夜の 残りすくなく ふけゆけば かねてものうき 暁の空  
藤原清正

 は、どうでしょう。
 夏の短い夜が残り少なくなって、明けないうちから夜明けの空がでるのが憂鬱だ、というほどの意でしょう。

 新古今和歌集から目についた恋歌を二首、拾ってみました。
 あくまでも感情をストレートに出さず、岩のはざまにひとりだったり、かねてものうき暁の空だったり、あくまでも物や景色に仮託して、心情を遠まわしに歌っています。
 これがわが国の伝統的な言語感覚であり、だからこそ、はるか千年も前の歌が現代日本人の心を打つのです。

 わずか前の終戦直後だって、「夜のプラットフォーム」というわが国の伝統文化に則った名曲があり、つい20年ほど前にちあきなおみが歌ったという「黄昏のビギン」という切ない曲があります。




 
 今こそ、わが国伝統の奥ゆかしく、切ない恋歌を取り戻すべきです。

新古今和歌集〈上〉 (角川ソフィア文庫)
久保田 淳
角川学芸出版
新古今和歌集〈下〉 (角川ソフィア文庫)
久保田 淳
角川学芸出版

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