1970年代、政界を揺るがし、元総理の田中角栄が逮捕された衝撃のロッキード事件の際、国会に証人喚問された関係者が、「記憶にございません」としらばっくれる発言を連発していたことを思い出しました。
というのも、都議会で追及される猪瀬都知事の返答を見てのことです。
選挙で選ばれるほどの人は、常人には考えられない驚異的な記憶力をお持ちのはずなのに、不思議ですねぇ。
そんなに次々記憶を失っては、判断材料が無いまま重要な判断を下すことになってしまうではありませんか。
都合よく記憶を失くすのも政治家の特質であるようです。
私は、元々作家でしかない人が行政のトップに立つのは無理があると思います。
猪瀬都知事は小説家というよりノンフィクションや評論を良くする人、というイメージがあります。
それでも何の責任も無い、言いたい放題の立場で生きてきたことに変りはないでしょう。
誰でしたか、小説家は小さな説を述べる人で、天下国家のような大きな問題を論じるのは不可能だ、と言っていたことを思い出します。
石原前都知事も小説家でしたね。
小説家が大説を唱え出すと、どこか美的感覚や浪漫的感覚にとらわれて、冷静な判断ができなくなるのはよくあることです。
分を弁えることが必要です。
そうは言っても石原前都知事は何十年も国会議員を務め、大臣にもなり、自民党総裁選挙に立候補したこともあります。
もはや小説家が政治家になったと言うより、政治家になるべき人が政治の合間に小説を書き続けたと言ったほうが適切でしょう。
しかるに猪瀬都知事は、石原都知事の時に請われて副知事になり、石原都政を受け継ぐ形で初めて選挙戦を戦い、晴れて政治家になった、言わば素人です。
法に違反したのならともかく、法の範囲で少々灰色の金を融通してもらったからと言って、そんなに目くじら立てる必要は無いような気がしますがねぇ。