誇り

思想・学問

 平日の朝目覚めるたびに、今日はずる休みしてやろう、という気持ちに襲われます。
 しかしその日のスケジュールを思い起こし、泣く泣く出勤の車に乗り込むのです。
 飯を食い、酒を飲むためにはやむを得ざる仕儀というわけです。

 3回目の長期病気休暇から復職して今月末でちょうど丸3年。
 欲深な私は、給料を守るために、ただ隠忍自重の日々を重ねてきました。
 しかしこの3年間を思い起こしてみると、私は傲慢なまでに、おのれ独りの事務処理能力に恃み、困難に出会って泣きたい時も、平気なふりをして、世界一気楽な仕事をしているかのような顔でやせ我慢を続け、すると不思議なことに問題は解決していったのでした。

 安倍自民党も維新の会も、判で押したように教育改革の必要性を訴えます。
 それは学校教育のことで、じつは最も重要な教育は家庭で行われます。
 特に学齢期にいたるまでの幼児教育は、子供の将来を左右する重大なものです。

 私には子供がありませんが、平たく言って、父親の役割はシンプルなものだろうと思っています。
 まず、子供を子供としてではなく、小さな大人として、一人前の人間として尊重することです。
 さらに、子供を、世界で最も重要な人物だと遇して、子供に限りない誇りを持って生きられるように導くことです。

 人というもの、他人から高い評価を受けることが、生きがいにつながるものと思います。

 長い人生の最初の最初に、子供から見れば世界の全ての価値観を体現している父親が、子供を認め、尊重することで、子供は限りない誇りを持つことができ、幼児の頃に培った限りない誇りは、その後いかなる挫折に会おうとも、揺らぐことはありません。

 かく言う私も、今は亡き父から、限りない誇りを持って、おのれ独りの信念に忠実に、孤独な人生を生き抜くことを教え込まれました。

 それは言葉によるものではなく、父が私に接する態度や、時には目上の相手に対しても激しい口論を厭わない信念を曲げない生き方から、間接的に学んだものです。

 私はそのことを、深く感謝しています。
 そうでなければ、度重なる私を襲う精神上の問題に押しつぶされ、私は廃人同様になっていたことでしょう。
 しかし私は長期の病気休暇の最中にあっても、限りない誇りと自信を失うことなく、自助グループに通ったり、リワーク・プログラムに通ったりして、捲土重来を期し、今のところそれはうまくいっています。

 子供がいない私が言っても説得力はないかもしれませんが、世の親たち、わけても父親の皆様におかれましては、どうか問題児であろうともどこまでも子供の人格を尊重し、子供が誇り高く生きられるように導いていただきたいと思います。

 私は、誰もが世界一偉いかのような顔をして生きられる世の中を夢想しています。

 おのれ独りを尊重できないようでは、他人を尊重することなどできません。
 おのれが重要人物だと思えばこそ、他人もまた、それぞれ重要人物だと気付くだろうからです。

 わが国には謙譲の美徳というものがあります。
 しかし謙譲というのは、何も卑屈になることではなく、謙譲という手法によって、他人を尊重することだろうと思います。

 何よりも、おのれ独りが、限りない高い誇りを保つことが重要であり、私は誇り高い人を尊敬します。

 滅多やたらに自己卑下するような人は、気持ち悪くて仕方ありません。 

 おのれ独りを恃んで、誇り高く生きることが、幸福への近道であり、それには何より家庭での幼児教育が重要でありましょう。

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