昨夜、NHKの日曜美術館の上村松園の特集番組で、彼女が使っていた絵の具が紹介されていました。
強烈な赤の絵の具を見て、ふいに、ある歌を思い出しました。
ちょうど、プルーストが紅茶にひたしたマドレーヌを食べて、はるか昔の記憶を鮮烈に呼び起されて、「失われた時を求めて」を書き始めたように。
草わかば 色鉛筆の赤き粉の ちるがいとしく 寝て削るなり
北原白秋の歌です。
私はこれに13歳のときに初めて接し、自分は決して歌を詠むまい、と決めたのでした。
この歌に感銘を受けながら、同時にこのようなレベルの歌を詠む才は自分にはないことを、思い知らされたのです。
同じように、17歳の時に村上春樹の「世界の終りとハードボイルドワンダーランド」を読んで、自分が小説を書く意味はないな、と思いました。
こんな小説を書く人がいるのに、自分がくだらぬものを書いても仕方ない、と思いました。
しかし13歳の時との違いは、書くまい、と決めはしなかったことです。
それでくだらぬものを書いては出版社に送るということをして、二冊、世に問いましたが、ほぼ黙殺されました。
17歳のときの直感は当たっていたことになります。
残念です。
今、躁状態が起こる危険性があるからと、小説の執筆は主治医に止められています。
代替行為のようにこのブログをほぼ毎日更新していますが、決定的に物足りない、というのが率直な気持ちです。
もうあらゆることを諦めるしかないのかな、と思っています。
病を抱えている以上、それも仕方ありますまい。
何もしなくてもいいから毎日職場に通うことだけを、当面の目標にしています。
味気なくはありますが、生活というものは、本来そうしたものなのでしょうね。
ないものねだりはやめにして、三食の飯と、住まいを失わないように努めましょう。
三食食えて布団で眠れて、たまには酒だって飲める。これを幸せと言うのでしょうから。
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