年収1000万円を超えるある女医のインタビュー記事を読みました。
その女医、「貧乏は病気の一種」と刺激的なセリフを吐いていました。
勤務医だった頃、貧乏な人は大酒を喰らったり、煙草を吸ったり、暴飲暴食をしたり、健康を顧みない人が多いことを痛感したそうです。
その経験から、貧乏人は病気が病気を呼んでいる、と言いたいようです。
それは一面の真実を突いているのだろうとは思います。
でもなんだか差別的。
さらに、「収入は人間性や社会的貢献度の基準」とまで言い放ち、まるで一般庶民は価値が無いとでも言いたげです。
収入が低くても、真面目に働いて社会貢献しているあまたの人々のおかげで人間社会は成り立っていることを理解していないようです。
それに、障害があって働きたくても働けない人もいます。
そういう人の人間性や社会的貢献を認めないとでも言いたいのでしょうか?
サラリーマンで年収1000万円を超えているのは、わずか0.7%だそうです。
給料が上がらない今の時代、共働きで頑張るのがよろしかろうと思います。
私の年収はもちろん1000万円未満ですが、同居人の収入と合わせた世帯年収は1000万円をゆうに超えます。
一人で無理なら夫婦二人で働くしかありますまい。
また、私の職場には多くのパートなどの非正規雇用の主婦や独身女性が働いていますが、特に、若い頃働いていて子育てを終え、パートで働いている主婦は、気は利くし、よけいなことは言わないし、非常に優秀な人が多いように思います。
専業主婦というのは、巨大な人材バンクともいうべき、宝の山でありましょう。
それらの人々に働いてもらえば、少子高齢化に伴う労働人口の減少を食い止めることができ、大きな社会貢献になるものと思います。
最近はパート主婦の税制面での優遇措置を撤廃しようという動きがありますが、一昔前は、年収が百数十万円を超えると優遇措置を受けられないからと、パートの時間数を調整してわざと欠勤する人がたくさんいました。
それでは人材を生かすことができませんね。
旧共産圏では女性が働くなんて当たり前のこと。
人と生まれ、きちんと教育を受けたなら、社会に出て働くのは義務とすら思います。
そこに男女の差など関係ありません。
かつて、わが国の圧倒的多数は農業に従事し、農家は夫婦共働きでした。
奥様なんて優雅なことができたのは、ごく一部の、武家や公家だけだったはずです。
その代り、面倒な付き合いや奉公人の面倒など、奥様ならではの苦労があったでしょう。
戦後、高度成長期にサラリーマンが激増し、深夜までの残業や休日出勤が当たり前になって、にわかに専業主婦が増え、しかも国は法制度を整えて専業主婦を優遇しました。
しかし、もはやそれも崩壊しつつあります。
晩婚化・非婚化が進み、かつてわが国政府が描いた典型的な家族の構成は、今となってはおとぎ話のようなものです。
自らの口は自らの力で潤すという当たり前のことが、当たり前として認知されるべきでしょう。
収入は人間性や社会的貢献度の基準、という女医の刺激的な言葉、これを働く者へのエールと前向きにとらえれば、あながち差別的とばかりも言えないかもしれません。