いつの時代も、人はユートピアがどこかに在ると信じ、その地を求めてきましたね。
明治の近代化以降、多くの日本人が一旗挙げようと、アメリカやブラジルに渡りました。
満州に渡ったひともいたでしょう。
しかしそれらは、言わば経済上のやむにやまれぬ理由から。
松尾芭蕉や種田山頭火が日本国中を旅したり、西行法師が京から離れないながら、風雅の世界に魂が遊離していたのとは自ずと違いましょう。
江戸時代、上州で日野大納言資枝卿の息女、衛門姫が捉われました。
6年前に歌枕を訪ねると言って京都の屋敷から家出したことが判明したそうです。
当時、公家の姫が6年も放浪すれば、どういう目にあったかは、おおよそ見当がつきます。
歌を何首か詠んでいますが、意味不明です。
おそらく錯乱状態になっていたのでしょう。
この後どこかの寺に入って尼になったとも、上州の宿場町で飯盛り女になったとも。
京都で静かに暮らしていた姫が、歌枕を訪ねて放浪の旅に出るとは驚きです。
人には、ここではないどこか、もっと自分がしっくりくる居心地の良い場所があるのではないか、という夢想を楽しむ悪癖があるように思います。
それが叶えられないから、人は物語やある時代や音楽や美術等、あるいは酒や博打や麻薬や買春などに逃避するのでしょう。
衛門姫の無謀ともいうべき逃避行は、姫の魂が公家の姫には収まりきれないスケールを持っていたものと思われます。
日銭を稼ぐことに汲々とする私は、姫の豪胆さがうらやましくてなりません。
ここではないどこか、私のいるべき場所はどこでしょうか。
もしかしたら、今、ここなのでしょうか。
そうだとしたら、怖ろしいことです。
![]() | 江戸人とユートピア (岩波現代文庫) |
日野 龍夫 | |
岩波書店 |