今日は休暇を取りました。
役所に障害者自立支援の手帳更新に行くためです。
この手帳が交付されると、精神科の診察代と薬の処方費が1割負担になるのです。
通常、3割負担ですから、長く通うと馬鹿になりません。
私はうつが酷かった頃、希死念慮に悩まされていました。
平たく言えば、死にたくて仕方ないのです。
うつ病は自殺率が極めて高い病気ですから、私もまた、死と生の堺を、塀の上を歩くようにして彷徨っていたわけです。
この塀の、生の側に落ちたから、今こうしてブログを更新できているのです。
死の側に落ちれば私は安楽にあの世でまどろんでいたでしょう。
生の側に落ちるのと、死の側に足を踏み外すことと、どちらが楽なんでしょうね。
生きている私は、いっそ死の側に落ちれば良かったのに、と思うことがあります。
生きるということはしんどいですから。
「男はつらいよ」で、満男に、「人間何のために生きているんだろう」と問われた寅さんが、「あぁ、生きてて良かったと思うことがたまにあるだろう、そのために生きているんじゃないのか」と応える場面があり、鮮明に覚えています。
生きてて良かったと思うことは、今の私にはありません。
好きなホラーやサスペンスなどの映画を観ても、優れた文学作品に接しても、どこか生きていることが苦痛です。
長い病気休暇から復帰してもう12年くらいになりますが、今も、弱い希死念慮は常に私を苦しめます。
全く因業な病に罹患したものです。
一方、躁状態にあった時は、自分が神様にでもなったように錯覚し、高揚した気分のまま、無駄遣いをしたり、使い物にならない駄文を書き散らしたりしました。
その時はうつ病から解放されたと思いましたが、精神科医にそれは双極性障害という病気だと諭され、躁を抑える薬を飲むことになり、今も飲んでいます。
最初うつ病と診断され、その後躁状態が現れて、双極性障害に病名が変わることはよくあるそうです。
しかも面白いことに、うつ病の人の脳波と、双極性障害のうつ状態にある人の脳波は全く異なるのだそうで、近いように見えて違う病気なのだと実感します。
リワークプログラムに通っていた頃、私と同じ双極性障害の人が何人かいて、明らかに華やかな印象を受けました。
きっと私もそうだったのでしょうね。
この病気を発症したのが36歳の時。
今、52歳になりましたが、完治ということはありません。
ほぼ症状が抑えられている寛解という状態になってずいぶん経ちますが、いつ再発してもおかしくない病気だそうで、完治するということはあり得ないのだそうです。
一生、付き合っていかなければなりません。
そのために障害者自立支援の手帳が交付されているわけです。
双極性障害、じつはわりと多く、田中角栄や北杜夫などがそうだったとか。
他にもきっとたくさんいるのでしょうね。
患者としては、軽い躁状態にあるのが気持ちが良いのですが、医師は軽いうつ状態にあるほうが健康だと言います。
躁状態になると、喧嘩っ早くなったり、無駄遣いをしたりするので、生活が破綻することが多いそうです。
幸い、躁エピソードは一回しか経験していません。
しかし一回でも躁エピソードが現れれば、それはうつ病ではなくて、双極性障害なのだとか。
私としては、弱いながらも希死念慮に悩まされ続ける軽いうつ状態よりも、万能感にあふれる躁状態にあるほうが気持ちが良いのですが、根が真面目な私は、医師の処方どおり、躁を抑える薬とともに、うつを抑える薬をきちんと飲んでいます。
ただし、この病気、抗うつ薬が使えません。
躁転の危険があるからです。
そのため、抗うつ薬の代わりに、主に統合失調症に処方される、気分を安定させる薬を飲んでいます。
そのおかげで、一見健康に見えるかもしれません。
しかし私は今も、迷妄の森を彷徨っています。
この森から抜け出す日が来るのでしょうか。