先般、「アンパンマン」で一世を風靡した漫画家のやなせたかし先生が逝去されました。
私には子どもが無いため、「アンパンマン」をまともに観たことは一度もありません。
まして、やなせたかし先生が94歳というご高齢だったということも知りませんでした。
手塚治虫よりも水木しげるよりも年上ですねぇ。
そう考えると大長老だったんですねぇ。
ただし、「アンパンマン」が売れて漫画家として大成したのはずいぶん遅く、70歳ちかくになっていたそうです。
その間、「手のひらを太陽に」を作詞したり、編集者をやったり、広告図案を手掛けたり、様々な仕事をしてきたとかで、単純に漫画家と言えるような人ではない、巨大な人物だったようですねぇ。
第二次大戦中、中国大陸で従軍して空腹が耐えがたかったこと、弟が特攻隊員として亡くなったことから、反戦思想を持ち、わけても空腹は人間にとって大きな苦痛であることから、自分の頭を食わせちゃうという、ある意味グロテスクとも言える「アンパンマン」が生まれたようです。
90歳を超え、引退を考えていた頃東日本大震災が起き、「アンパンマン」で被災地を元気付けるべく、ペンを採り続けた信念の人でもありました。
改めて聞いてみると、「アンパンマンのマーチ」、なかなか深いですねぇ。
そうだ!嬉しいんだ生きる喜び たとえ胸の傷が痛んでも
何の為に生まれて 何をして生きるのか 答えられないなんて そんなのは嫌だ!
今を生きることで 熱いこころ燃える だから君は行くんだ微笑んで。
このフレーズ、じつはやなせたかし先生の波乱万丈の長い人生から生まれたものだったのですねぇ。
当初、「アンパンマン」は絵本で出版され、幼児教育の専門家が糞味噌に貶すなか、子どもたちはボロボロになるまで先を争って読んでいたそうで、子どもの素直な頭には、すとんと落ちる名作だったのでしょうねぇ。
私はやなせたかし先生の生前、ほとんど何の関心も持っていませんでしたが、亡くなられて、洪水のように先生の情報が流れて、先生の生き方の一端を知ることが出来ました。
おのれの無知を恥じるとともに、先生のご冥福をお祈りします。