またもやテロ事件が起きてしまいました。
場所はバングラディシュの首都。
しかも今回は7人もの日本人が犠牲に。
日本人の一人は、テロリストに向かって “I'm Japanese, please don't shoot.” と叫んだそうですね。
アラブ人は親日的だというイメージから出た言葉でしょうが、テロリストに通じるはずもありません。
しかし、その叫びはあまりに切なく悲しく胸に迫ってきます。
一縷の望みを日本人であることに託したのでしょうから。
人を殺すという場合、金欲しさか、怨恨か、快楽か、テロか、大方このどれかが動機になっているように思います。
テロの場合、自分たちこそが正しく、現在の社会が間違っていると信じ込んでいることが、性悪と言えるでしょう。
かつてテロといえば左翼過激派の専売特許だったものが、オウムなどの宗教に取って代わり、今回のテロもイスラム原理主義者による宗教的テロと考えられています。
しかしこれだけイスラム原理主義者によるテロが続くと、イスラム教そのものに問題があるのではないかと邪推したくもなります。
もちろん、穏健なイスラム教徒は平和に日々を過ごしているわけで、彼らに何の罪も無いことは当然です。
ただ、イスラム教は過激な人の割合が他の宗教と比べて多すぎやしないかという素朴な疑問を捨て切れません。
かつてオウム真理教は原始仏教に近いとされ一部宗教学者やマスコミからもてはやされていました。
当時はむしろ幸福の科学のほうが胡散臭い集団だと思われていました。
しかし、幸福の科学は申請からわずか数日で宗教法人として認可されましたが、オウム真理教はいつまでたっても認可されず、集団で都庁に押しかけたりしていましたね。
要するにマスコミとは異なり、役所はオウム真理教がまともな集団ではないことを知っていたものと思われます。
餅は餅屋と言いましょうか、蛇の道は蛇と言いましょうか。
レーニンはスターリンにだけは権力をにぎらせてはならないと警告したと伝えられます。
ナチが出てきたときも、ドイツの上流階級は相手にしなかったと言います。
卑近な例では、市川房江先生は管直人を立候補させてはならないと考えていたそうです。
分かる人には分かっていながら、悲劇は起きます。
もしかしたらイスラム教が興った頃、これをまずいと思った人がいたかもしれません。
そう思いたくもなる昨今の有様です。
しかしそんなことを嘆いてみても仕方ありません。
イスラム原理主義者は今も世界のあちこちでテロを計画していることでしょう。
軍隊と軍隊による戦争よりも、テロとの戦いは困難を極めることでしょう。
いつ、どこで牙をむくか分からず、しかもテロリストは軍服を着ているわけでもなく、平服に銃や爆弾を隠し持っているのですから。
イスラム教徒の真の敵はイスラム原理主義者であることは間違いありません。
真っ当なイスラム教徒こそ、イスラム原理主義者撲滅に心血を注ぐべきでしょう。