アパルトヘイト(人種隔離政策)という言葉を初めて知ったのは、小学校5年生の頃でしたか。
1980年のことです。
当時、すでに世界は人種差別を、少なくとも表向きは認めないということになっていたので、ひどく驚いた覚えがあります。
さらに、わが国の経済規模が大きいからでしょう、日本国民は名誉白人と呼ばれて白人なみの待遇を受けていると知り、子どもながら激しい憤りを覚えたことを思い出します。
誇り高い日本民族をつかまえて、名誉白人とは何事ですか。
誰が白人なんぞになりたいものですか。
その後、南アフリカで日本国籍を持つ外国人として暮らしていた日本女性が、現地の人と結婚して南アフリカ国籍を取った途端、有色人種として隔離されたことが問題になりましたね。
要は南アフリカ共和国という国は、少数の白人が自国を植民地扱いし、黒人などの有色人種を支配していたというのが現実。
当時南アフリカ政府は、差別ではなく、不測の事態を避けるための隔離だ、と苦しい言い訳をしていました。
敢然と現れたのが、アパルトヘイト撤廃を求める闘士、ネルソン・マンデラ氏。
彼は27年間も投獄されながら信念を貫き、ついにはアパルトヘイトを撤廃させ、黒人初の大統領に就任しました。
その表情は、信念の闘士とは思えない、穏やかなものでした。
そのネルソン・マンデラ氏の訃報が飛び込んできました。
氏の驚嘆すべきところは、全民族融和を説き、白人に対して復讐的な政策を採ることが無かったこと。
後にノーベル平和賞を受賞しましたね。
享年95。
小学生の私を憤慨させたアパルトヘイトを終わらせた偉大な政治家のご冥福を祈ります。