退屈

社会・政治

 今日は神田の学士会館で会議。
 直行直帰なので、朝はゆっくりです。
 会議といっても懸案事項があるわけではなく、すでに根回し済みの案件をオーソライズするためだけの儀式のようなもの。
 でもこういう儀式というか手順をきちんと踏むということが、民主国家の組織としては死活的に重要なのでしょうね。
 退屈な時間になりそうです。

 退屈といえば、今朝の新聞のコラムに、犬や猫は退屈を感じない、あるいは感じる能力がない、ということが書いてありました。
 すべての瞬間を精一杯生きているということでしょうか。
 猫なんか一日中ごろごろしていて、それが退屈ではなく、精一杯の生き方だとすれば、なんだか羨ましいような気がしますねぇ。

 人間はといえば、商売でも政治でも学問でも、何かと競争しますね。
 人より儲けたい、人より出世したい、人に先んじて学問的業績をあげたい、なんて。
 それしか退屈回避の方法が無いかのごとくです。
 その行き着くところが殺し合いでしかないことは明らか。
 人間は過去から現在にいたるまで、延々と殺し合いを繰り広げてきました。
 同種間で大規模な殺し合いをするなんて、人間以外に聞いたことがありません。

 馬鹿馬鹿しくも愚かしいことですが、私自身がそういった人間という種の特徴を持って生存していることはまごうことなき事実。
 いったん事あらば、私自身が喜んで殺し合いに身を投じるんでしょうねぇ。
 怖ろしいことに。

 戦争が起こると当事国では神経症などの軽度な精神障害が激減すると聞いたことがあります。
 神経症というのも贅沢病というか、暇がなければかからない症状ですから、戦争というスペクタクルを眼前にして、一時的にその症状が治まってしまうのかもしれませんね。

 殺し合いというのが人間にとって一番の退屈しのぎだとすると、私たち人間というものが持つ業はあまりに深いですねぇ。

 宗教や思想がどれだけ口を酸っぱくして平和を説いても、現実社会から争いがなくなったことはありません。
 わが国も今尖閣諸島をめぐって中国と対立しています。

 もっと良い普遍的で組織的な退屈しのぎがあると良いんですが。

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