退行欲求

文学

 私が残酷非道な物語を好み、ホラー映画をこよなく愛していることは、このブログをご愛読いただいている方はよくご存知のことと思います。

 しかし実生活となると、私はとんだ腰抜けです。

 血を見ることが苦手で、また苦しんでいる生き物を見るのも全く駄目。
 だからSMという趣味嗜好は理解不能です。
 サド侯爵や団鬼六、マゾッホらの小説は好むんですけどねぇ。

 魚の死骸に触れることができず、そのため秋刀魚を焼くことすらできません。
 鯛や鯵のはらわたを取り出すことなど、怖ろしくてとてもできません。
 従って焼き魚を食すためには、同居人に全面的に頼らざるを得ず、いつもからかわれています。
 釣りなんてもってのほかで、そもそも私は生き物に触れることを極端に怖れています。
 蛙や蛇や虫はもちろんのこと、犬や猫に触れるのも嫌で、ほとんど触れたことがありません。

 若い頃はきれいなおねぇさんに触れることだけは好きでしたが、近頃はそれもなんだか不潔な感じがして嫌になってしまいました。
 不潔というのは、文字通り、物理的に不潔ということで、精神性の問題ではありません。

 まして性行為などというものは不潔の極みみたいなところがあって、今の私には不可能です。
 同居人には過去の悪行が祟ったのだと言われますが、私は悪行などにおよんだ覚えはありません。

 よくスキンシップの重要性を説く人がいますね。
 赤ん坊や幼児には必要なことなのでしょうが、中年のおっさんには全く必要ないものです。

 西洋流に握手やハグを日常的に行う文化圏だったら、今の私は家から一歩も出られないでしょうねぇ。

 考えてみると、そういう不潔恐怖みたいな傾向は幼い頃からあって、幼児の頃からべたべた可愛がられることが嫌いでした。
 しかしその傾向が著しくなったのは、精神障害をほぼ克服してからのような気がします。
 一種の後遺症なんでしょうかねぇ。
 うつ病や躁うつ病が寛解して不潔恐怖になったという話は聞いたことがありませんが。

 生物の肉体というものは植物にしろ動物にしろ、もちろん人間も、雑菌の塊のようなものですね。
 いくら毎日風呂に入り、日に何度も手を洗っても、完全に清潔になることはありません。
 それでも私は日々入浴を欠かさず、手洗いも励行して肉体の表面を清め、肉体の内部はアルコール消毒を欠かしません。

 最近、無菌室のような空間に隔離され、完璧な清潔さの中で暮らしたいという妄想が湧いてきて難儀しています。

 一種の退行欲求なんでしょうか。
 清潔で快適な空間で、常にうとうとしていたい、という暗い欲求から逃れがたいのです。

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