3月5日に亡くなった父の通夜が、やっと今日、営まれます。
さすがに10日も経っての通夜というのは間抜けな感じがしますが、こういった儀式をきちんと経ないと、私の日常が脅かされてしまいます。
まずはしめやかに、次男としての役割などいくらもありはしませんが、黙って座っていましょう。
亡父との思い出は数知れず。
幼児から中学二年生まで、私が嫌だと言うまで、夏休みと冬休みには必ず、三泊四日程度の小旅行に連れて行ってくれました。
海水浴だったり、スキーだったり、あるいは避暑地での散歩やサイクリングだったり。
何よりも父は子どもを楽しませることより、自分が楽しむ天才でした。
父親が楽しそうにしていれば、それは子どもに伝播して、子どもも楽しくなるものです。
うつ病で長く休むことになったとき、父は奈良や京都郊外への旅行に連れ出してくれました。
父は京都の紅葉を見せたかったらしいのですが、主治医から人混みを厳禁されていると知り、奈良や京都郊外に変更になったようです。
京都では、生まれて初めてシティ・ホテルのスウィート・ルームに宿泊しました。
私が住む35年ローンを組んで買ったマンションより広くて、かっくりげぇりましたねぇ。
当時私は夕陽が苦手で、夕陽を見るとわけもなく悲しくなり、奈良の田舎で夕陽に出くわしてぼろ泣きしたとき、父は私をちらっと見て、とびおは感受性が豊かだからなぁ、とだけ言ってすたすた歩き出したときは、救われた思いがしましたねぇ。
うつ病が治まって仕事を再開したら、父は、父の秘密の隠れ家とも言うべき、父以外は誰も知らない、行きつけの浅草の高級鮨店と老舗のバーに連れて行ってくれましたっけ。
父はなにしろ浅草が好きでした。
そこで中年のおっさんである私と老人である父が、酒をかっ食らいながら4時間も5時間も青臭い議論を交わしたのですから、いい気なものです。
しかも私は父の許しを得て、その鮨屋を勝手に使ってはつけを父に回し、何人ものおねえさんを連れて行っては悪事を働きました。
もう二度と、そんなことはできないんですねぇ。
息子の悪事にそれと知っていて加担するとは、父は巨大といおうか、おおらかといおうか、私には真似のできない事をする人でした。
そういえば、小学校5年生の時でしたか、何かの折に担任の先生が、この中でお父さんを尊敬してる人?と問うたことがありました。
私は何の迷いもなくまっすぐに手を挙げたのですが、周りを見回したら誰も手を挙げておらず、びっくりしたことを昨日のことのように思い出します。
もうこれ以上父との思い出は増えないんだと思うと、うつ病発症時のような涙の発作に襲われてしまいます。
父との思い出話はこれくらいにしましょうか。
他人にとってはともかく、私にとっては巨星堕つ、としか言いようがありません。