律令制の時代、都から各地に任官した役人は、地方役人から接待を受けました。
今と同じですね。
今、女性のいるお店で接待するのと同様、その昔宴席で和歌を詠んだり踊りを踊ったりする女性に遊行女婦(うかれめ)がいたそうです。
遊行女婦(うかれめ)は教養あふれる地方の名士であったらしく、万葉集に都からきた役人と恋歌を交わしたりしています。
おほならば かもかもせむを 畏(かしこ)みと 振りたき袖を 忍びてあるかも 児島
(あなた様が普通のお方ならば別れを惜しんであれもこれもといたしましょうに、 畏れ多き身分のお方なのでこのようにお別れのしるしの袖を振りたくてもじっと我慢して耐え忍んでおります)
大和道(じ)は 雲隠(くもがく)りたり しかれども 我が振る袖を 無礼(なめ)しと思(も)ふな 児島
(とは云うもののあなた様がはるか遠い雲の彼方と思われる大和にお帰りになると思うと、もう二度とお会いできないという気持がこみ上げ、ついに堪えきれず袖を振ってしまいました。どうか無礼な仕業とお思い下さいますな)
旅人も落涙を禁じえず、大勢の人の前で次の歌を返します。
ますらをと 思へる我や水茎の 水城(みづき)の上に涙拭(のご)はむ 大伴旅人
(それにしても堂々たる男丈夫と自他共に自認しているこの私なのに、涙が溢れて止まらないとは一体どうしたことだろう。この水城での辛い別れのことだ)
これは大伴旅人が大宰府から都へ帰る時、送別会で詠まれた歌です。
でも不思議ですね。
二人が恋仲ならば、なにも人が大勢いる送別の宴席で詠まなくてもよさそうなものです。
二人きりのとき、しっぽりと別れを惜しめば良いものを。
不思議に思っていたのですが、ある国文学者が興味深いことを書いていました。
これは恋歌ではあるけれど、義理チョコみたいなもので、当時都へ帰る高級官僚を送るときには地方の名士の娘である遊行女婦(うかれめ)がこのような歌を詠み、高級官僚もそれに返歌するのが礼儀だったのだ、とか。
しかもそこには、地方と都が友好的な関係を築くための政治的な意図が隠されていたのだ、とか。
それが本当だとしたら、万葉集にあまたある恋歌の趣が、ずいぶん変わってきます。
義理チョコなんてねぇ。
いやな感じですねぇ。
歴史学者ならともかく、国文学者がそんなことをねぇ。
文学を楽しむには歴史的事実と異なる解釈をしたってよいと思います。
大伴旅人と児島は宴席を抜け出し、褥をともにし、しかる後の和歌を詠み合った、ということで良いんじゃないでしょうか。
遊行女婦(うかれめ) が今で言うホステスみたいなものだとしても、ホステスと客が恋に落ちることだってありましょうし、ソープ嬢と結婚したプロ野球選手もいました。
私は大伴旅人と児島が恋仲だったと読みたいと思います。
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