過激

社会・政治

 1971年に起きた左翼過激派による渋谷暴動事件で警察官を殺害したとみられる容疑者が逮捕されました。

 じつに46年前の事件です。
 よくも46年も逃げおおせたものです。

 容疑者も被害者も当時20代前半。
 今では60代後半になっています。

 普通のサラリーマンでいえば、新人が引退するまでの期間よりも長い間、逃げていたのですね。
 時効とかはないんでしょうかねぇ。

 その間の容疑者の精神の動きはいかなるものであったのでしょうか。

 1971年当時は、まだ浅間山荘事件の前で、左翼過激派は一定の勢力を保ち、本気でわが国で共産革命を起こせると信じていたのかもしれません。

 しかし、時代は変わり、左翼過激派は弱体化し、一般庶民の間に革命を望む声など皆無に等しくなりました。
 その時代の移り変わりのなか、おのれが信じる思想信条はほぼ否定され、それでもなおそれにしがみつかなければ生きていけないとは、想像を絶する状態です。

 左翼過激派は勢いを失い、その代替物のように現れた各種新興宗教も、オウム事件で息も絶え絶え。
 過激な思考に陥るのは若者の常とはいえ、誠に愚かしいことです。

 そしてまた、被害者となった警察官の遺族や元同僚の46年間。
 その長い年月を思うとき、私はただ、瞑目せざるを得ません。

 頑迷な老人になっているであろう容疑者、今更思想信条を捨てて反省することなど望むべくもありません。
 仮に獄中につながれても、おそらくは自らを革命の犠牲者くらいにしか考えないでしょう。

 被害者はもちろん、容疑者もまた、哀れに思えてなりません。
 早く転向して自首していれば、若気の至りで済んでいたものを。
 そうすれば、残された遺族も、多少は心の平穏を得られていたであろうものを。

 時、あたかもイスラム過激派とみられる者によって英国で凄惨なテロが起きたばかり。

 過激なものに憧れる青少年の心情は、私もかつて青少年であった頃を思い起こせば、理解できなくもありません。
 しかしぼんやりと憧れるのと、実際にテロ事件を起こすのとは大違いです。

 空想のなかで世界を焼き尽くそうと、独裁者になることを夢想しようと、さしたる害はありませんが、一人でも傷つければ、それは凶悪犯罪者です。
 被害者や身近な者に多大な苦痛を与えるのみならず、自らも大きな損失を被ります。
 誰にも良いことはありません。

 過激であることを求める心情は、普通、成長して社会に出れば消滅するか、ほとんど馬鹿馬鹿しく思えるようになるものです。

 過激な組織に属する前に、一歩、踏みとどまって考え直してほしいものです。
  
 
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