世はワールドカップ一色です。
サッカー日本代表、残念ながら敗れてしまいました。
しかし敗れてなお、そのプレーは称賛されています。
勝負は時の運。人事を尽くしたその姿勢は、立派なものでした。
サッカーに道を付ける呼び名は一般的ではありませんが、サッカー道、とでもいうべきものを感じました。
それは柔道や剣道など、日本古来の武術に劣るものではありません。
道、ということはいつごろから言われたのでしょうね。
昔は、剣術、柔術でした。
江戸時代の国学者、本居宣長によれば、古代、日本で道といえば、それは道路を意味するだけだったそうです。
そして日本に道という観念が存在しなかったかといえばそうではなく、真実の道が存在したため、道という観念を考え出す必要がなかった、ということです。つまり古代においては、天皇を中心とする国家秩序に従って、地位や与えられた役割(ほどほどにあるべきかぎりのわざ)を果たして、穏やかに楽しく暮らしていたため、行動の自己規範たる道を意識する必要がなかった、いわば理想的な状態だった、と言います。
理想的な状態というのは日本神話や古代を美化するもので、本居宣長が国学の大家ゆえの、浪漫的な見方のように感じます。
本居宣長は道を、強事(しいごと)として、つまり人間には無理なことの押しつけであるとして、批判しました。
では人間が目指すべき道徳律をどう考えていたのでしょうか。
それは、あるべきかぎりのわざ、すなわち社会的役割を自覚し、積極的にそれを実行することであり、それは身分や職業により多様であるから抽象化することはほぼ不可能、と、なんだか投げやりなことを言っています。
どうも儒教から発した道というものは、君主よりも徳を上位に置いたことが、神々の子孫である天皇の支配を危うくすると考えたようです。
古代の神々により作られた社会秩序や習俗に随い、あるべきかぎりのわざを遂行していくことが人間のすべてであり、宗教的・道徳的な自己規律や、悟りなどを求めるのはさかしら(人としての本来的なあり方に反していること)であり、それを排してこそ、真実の人生がある、ということです。
そして、黄泉に行くだけ、と言って、死後のことを考えるのは馬鹿げている、という態度です。
死ねばみな よみにゆくとはしらずして ほとけの国をねがふおろかさ
と、詠んでいます。
本居宣長は偉大な学者でしたが、あるべきかぎりのわざだけでは気が済まない、道を求めてしまうのも、人間の自然だということには、思いが至らなかったのでしょうか。
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