遵法

仕事

 私は精神病発症以来約6年、ほぼ残業をしていません。
 そのために収入は大きく減りました。
 しかしそのかわり、あいつは残業しないやつ、と思わせたことで、毎日定時で帰れて快適です。
 以前はつきあい残業というのが当たり前のように行われていました。
 上司が帰るまで残る、とか。
 まるで幼稚園児ですね。
 ○○ちゃんのママが迎えに来るまで○○ちゃんと待ってるぅ、みたいな。
 ある頭の悪い係長が、アルバイトの若い女性に、「上の受けが良いから最低1時間は残業して」と言われた、と、相談を受けたことがあります。
 発病前から私は必要な残業はしてもつきあい残業はしませんでしたので、私に相談したのでしょう。
 私は、帰る直前、「本日の業務終了。何か手伝うことはありますかぁ?」と大きな声を出すようアドヴァイスしました。
 私がそうしていたからです。

 時代は変わって残業代を少しでも支払いたくない雇用主は、厳しく残業を制限するようになりました。
 しかしそこには落とし穴があって、残業を申請せずに残業する、サービス残業をするやつが現れ始めました。
 ただ働き、もしくはアピール残業ですね。
 遅くまで残業代もらわずに働くおれって勤勉でしょ、優秀でしょ、というわけです。
 すると労務担当の管理職がいくら「残業はするな」と言っても、それは「残業してもいいけど残業代は申請するな」という意味にもとれ、労務管理上定時で帰っていることになるから人員も増えず、業務量削減の努力も行われず、半永久的にサービス残業が続くことになり、労使双方にとって極めて不都合な自体が出来します。
 これに右へならえするやつが出てくるのはわが国民性を考えれば当然です。

 みんなそうしているから。
 みんなと同じが大好き。
 みんなって誰?
 少なくとも私は、みんななる奇っ怪な集団に属したことは一度もありません。

 
沈没船ジョークにもありました。
 イギリス人には 「紳士はこういうときに飛び込むものです」
  ドイツ人には 「規則では海に飛び込むことになっています」
 イタリア人には 「さっき美女が飛び込みました」
 アメリカ人には 「海に飛び込んだら英雄になれますよ」
 ロシア人には 「ウオッカのビンが流されてしまいました、今追えば間に合います」
 フランス人には 「海に飛び込まないで下さい」
 中国人には 「おいしそうな魚が泳いでますよ」
 北朝鮮人には 「今が亡命のチャンスですよ」
 
日本人には 「みんなもう飛び込みましたよ」

 私はみんなという日本語が大嫌いです。
 KYという近頃の流行語も大嫌いです。

 要するにみんなとかKYとか言って、その人の個性なり考えよりも、多数派に従うように強要する、一種のファシズムだと思っています。
 非国民とか隣組と似ていますね。

 かつて日本人の圧倒的多数は貧しいお百姓さんだったわけで、お百姓さんはお互いに助け合い、協調することが大事だったため、自分を殺してでも多数派に合わせることが美徳とされていたものと思われます。
 聖徳太子も和をもって貴しとなす、と言っています。
 しかし、和が大事だとしても、個が尊重されることが前提です。

 サービス残業の存在を知りながら管理職がそれを放置した場合、刑事罰を科される犯罪となります。
 当たり前のことながら、遵法精神が求められます。

 これと似たようなものに、体罰があります。
 時折テレビなどで、教師による体罰の是非を論じている番組があり、体罰を愛の鞭などと言い、必要だ、という論者を見かけます。
 お気は確か?
 わが国は学校教育法で厳しく体罰を禁じています。
 要するに、体罰=傷害事件であり、犯罪です。 
 犯罪行為をしていいかどうかなんて、議論する余地はありません。
 教師が児童・生徒に暴力をふるっても許されるのは、児童・生徒が教師に襲いかかってきた場合の正当防衛だけです。
 こちらも当たり前のことながら、遵法精神が求められます。
 

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