文学

 最近、外で酒を飲む機会がめっきり減りました。
 時代の流れでしょうね。仕事帰りに上司や同僚、後輩と軽く一杯、という風習は、もはや無くなったと言っていいでしょう。
 個人の時間を大切にする、という意味で喜ばしいことですが、一方、なんだかさびしいような気もします。

 オーソン実験の昔に立ち返るまでもなく、職場における人間関係が業務能率に影響を与えるのは、当たり前の話です。 むしろ欧米人が、オーソン実験の結果をみて、人間関係が能率に影響することに驚いた、という事実に日本人たる私は驚きます。我々にとっては、あまりに当たり前の話です。

 その私たちも、古い言葉ですがノミュニケーション というものを捨てようとしています。
 病気の私には、ありがたいことです。
 外で飲むことは減りましたが、家ではよく飲みます。酒好きなのですね。

 
身もおもく 酒のかをりはあおあおと 部屋に満ちたり 酔はむぞ今夜

 
酒を愛した歌人、若山牧水の歌です。いかにも酒好きらしい、飲むことを楽しみにしている風情が伝わってきます。

 
蒼ざめし 額つめたく濡れわたり 月夜の夏の 街を我が行く

 同じ歌人の手になる和歌です。大正元年発表の「死か藝術か」という歌集の冒頭を飾っています。この歌は牧水の歌の中ではあまり人気がありませんが、私は十代のころからなんとなく魅かれています。

 同じ歌集に、

 しのびかに 遊女が飼へるすず蟲を 殺してひとり かへる朝明け

 と、いう、少し気味の悪い歌があります。私はその気味の悪さゆえに、気に入っています。
 そうは言っても、牧水の歌といえばその知名度、完成度からいって、下の二首に敵うものはないでしょう。
 酒と旅を愛した歌人の面目躍如ですね。


白鳥は  悲しからずや 空の青  海の青にも 染まず ただよう 

幾山河  越えさりゆかば さびしさの  はてなむ国ぞ  きょうも旅ゆく

 私は牧水をお手本にして、ノミュニケーション
を捨て、独り静かに酒を楽しむとしましょう。
 「牧水歌集」などめくりながら。

若山牧水歌集 (岩波文庫)

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若山牧水 さびし かなし
田村 志津枝
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産業文明における人間問題―オーソン実験とその展開 (1967年)
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日本能率協会

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