今日もまた1日の仕事を終え、晩酌をやりました。
もう長いこと、平日の楽しみはわずかな酒だけです。
しかし私は、それを幸せと呼びたいと思っています。
なんであれ、日々にうるおいを与える幸せがあることは結構なことだろうからです。
私ははるか23年前、就職するとき、仕事から帰ったなら、蛮勇をふるって机に向かい、おのれが信じる美的世界や奇妙な世界を文章で紡ぎ出す時を持ちたいと思っていました。
しかし結局は土日などの休日しかその野望を果たすことは出来ず、今となっては休日ですら、そんな面倒なことはできずにいます。
これを衰えと呼ぶべきでしょうか?
あるいは怠惰?
今もほろ酔い加減でこの記事を書いています。
デスクトップがある自室ではなく、リビングで、タブレットを使って食卓で。
食卓の上には濃い水割りが乗っていて、それをちびりちびりとやりながら。
私はどうも酒は止められないようです。
酒による意識の変容は、私に多大な快感をもたらします。
しかも不思議なことに、意識の変容というのは、混濁ではなく、自覚的には頭が冴えてくるような感じがするのです。
不思議ですねぇ。
もう一つ不思議なことは、仕事のことが頭を離れずに帰宅後や休日に悶々とすることが、綺麗さっぱりなくなったこと。
職場を離れれば、私は仕事の面倒ごとを思い出すこととてありません。
これは若い頃にはなかったことで、たいへん有難くも不思議に思っています。
あるいはこの境地こそが、私が求めていたものであり、精神障害を克服した境地なのかもしれません。
酒による意識の変容と脳の快感を強く感じるたちに生まれたことは、私にとって最大の不幸なのかもしれません。
それなのに私は、23年も叶わなかった、平日の夜に醒めた頭で美的世界の探求に努めることを、求めているのです。