フランケンシュタイン博士は、死体を切り張りして、世にも奇怪な人間もどきを生みだしました。
怪物は創造主、フランケンシュタインを呪い、彼の家族を殺害し、彼をも殺害しようとします。
一方で誰からも嫌われる醜い自分に相応しい恋人を造ってくれと懇願し、博士はそれを作りますが、その女の怪物は、求愛を拒否、焼身自殺してしまいます。
この物語で語られるのは、終始見た目の醜さ。
当初知的で親切な、好ましい性格だった怪物は、人々の迫害を受けてこの世を呪う悪魔に変じてしまいます。
一方、本朝では、西行法師が似たようなことをやっています。
西行法師の偽書とされる「撰集抄」に載っています。
人の姿には似侍りしかども、色も悪く、すべて心もなく無く侍りき。
声は有れど絃管声のごとし。
げにも人は心がありてこそは、声はとにもかくにもつかはるれ。
ただ声の出るべき計ごとばかりをしたれば、吹き損じたる笛のごとし。
と、自分で作った人造人間の醜さを言いたてています。
さても是をば何とかすべき。
破らんとすれば、殺業にやならん。
心のなければ、ただ草木と同じかるべし。
思へば人の姿なり。
しかし破れざらんにはと思ひて、高野の奥に、人も通はぬ所に置きぬ。
結局寂しい場所に捨ててしまいます。
美しいという価値観の反対に醜いという反価値があり、じつは私たちは、これを毎日、瞬時に選別しています。
もちろん、美しくも醜くもない、というものが圧倒的多数を占めるでしょうが、異性であったり、植物や動物であったり、建築物であったり、インテリアであったり、いわゆる芸術作品であったり、諸々の物を美しいか醜いか、どちらでもないか、決めています。
そして美しいものには概ね好意をもち、醜いものには嫌悪を持ちます。
人は見た目ではない、性格だ、と言いますが、見た目も重要な魅力の一つを構成していることは疑いありません。
またその醜さが、戦災や天災などによる火傷や傷のせいであっても、同情はするでしょうけど、醜さへの嫌悪感はどうしようもありません。
それに倫理規範を持ち出して説教しても意味はありません。
要はそれを美しいと感じるか、醜いと感じるか、という美意識に拠っており、それは容易に変えられるものではないからです。
そして美醜の判断は、極めて差別的です。
私たちはそれが本質的に差別的であることを承知のうえで、美しいとか、醜いとか言うべきでしょう。
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