昨日の夕方は精神科の診察がありました。
私のことはともかく、最近、ますます我儘になった義母のオーダーが激しく、同居人がまいっていることについて相談しました。
あれを買ってこい、これを買ってこい。
しかもそれはつい最近買って持って行ったものばかり。
どうしたのかと問えば、なくしただの、もう使い切っただの。
さらには子供の頃手がかかったのだから、今孝行するのは当然だの。
掃除をしに来い、布団を干しに来い。
私が行くと気を使って疲れるから同居人一人で来い。
それでいて、同居することは嫌がります。
施設に入ることを勧めても、どこも悪くない、頭もしっかりしているの一点張り。
しかし、体温計の使い方さえ分からなくなってパニックを起こし、使いやすい体温計を買って来いと言ったり。
役所から手紙が届いたと言ってはパニックを起こし、電池が切れたと言ってはパニックを起こします。
もう一人暮らしは無理だと思います。
呆けたら施設に入れてくれと言っていますが、もう認知症が始まっているような気がしますが、頑として検査を受けようとしません。
まるで取引のように、幼い頃面倒をみたことと、今面倒をみてもらうことを正当化しています。
毎日の1時間を超える長電話。
デイ・ケア、ケア・マネージャー等の社会資源を使うことへの嫌悪。
老いた親の面倒をみるのはわが国では子供の義務のようになって、親も子供もそれを当然とみなしています。
しかし、フルタイムで働きながら、義母の要望にすべて応えるのは無理というもの。
年より嗤うな行く道じゃ、と申します。
それはそのとおりだと思いますが、同居人と私の生活が乱れてきているのも事実。
精神科医は無理にでも施設に入れてしまえと言いますが、本人の意志に反してそのようなことは出来ません。
車で10分とかからぬ場所にマンションを購入したのは、老いたなら面倒を見るためだったことは確かですが、もはや限界です。
本当に足腰立たなくなって、それでもなお施設に入ることを嫌がったら、同居人は介護離職に追い込まれるでしょう。
二人で楽しく暮らしてきましたが、ここにきて、ピンチを迎えています。
私としては、施設に入ってもらい、上げ膳据え膳の生活を送ってもらいたいと思っています。
そのほうが安心だし、何かがあっても人の目があるので素早く対処できるでしょう。
老いるということ、誠にしんどいことのようで、30年経ったら私も得心がいくのかもしれません。
しかし、私たちには現在の生活があります。
義母の老いに付き合っていかなくてはなりませんが、ここ数か月、私たちを試すかのような要求には耐えがたいものがあります。
同居人は実の娘でありながら、近頃義母の悪口を言うようになりました。
今までそんなことは一度も無かったというのに。
私の母は兄夫婦、孫らと大勢で暮らし、曾孫まで出来ました。
次男の私が心配することは何もありません。
しかし同居人は一人娘で、義母は一人暮らし。
同居人は仕事と義母という、重たい物を背負っています。
同居人と義母、共倒れにならなければ良いのですが。
すっかり愚痴っぽくなってしまいました。
もう少し前向きに義母の老いを見つめなければなりませんね。