林真理子の「野心のすすめ」が売れているそうです。
![]() | 野心のすすめ (講談社現代新書) |
林 真理子 | |
講談社 |
今時野心ですか、と白けた気分になり、読む気も起きず、現に読んでいません。
ただ、林真理子という人、学生時代は激しいイジメに会い、就職試験も落ち続け、やっと就職した会社でもやっぱりイジメられたそうで、おそらく組織にいると浮き上がってしまうタイプなのだと思います。
彼女の凄まじいところは、それら負のエネルギーをすべて野心に振り向けてひたすら上昇をめざし、流行作家として成功し、本人が好む理系の男と結婚したこと。
そんな風に成功体験を積めば、野心を否定する凡人が単なる怠け者に見えてしまうことも分からないではありません。
一方、陸上競技でわが国のトップを走る為末大が、「諦める力」という著作を物していること。
![]() | 諦める力 〈勝てないのは努力が足りないからじゃない〉 |
為末 大 | |
プレジデント社 |
こちらは読んでみようかという気持ちになります。
少年時代には限りない可能性があり、多くの少年がプロ野球選手になりたいだとか、宇宙飛行士になりたいだとか、素朴な夢を語ります。
それはおそらく野心とは違ったものだと思いますが、平凡な一生を送りたくないという根源的な欲求が少年には付き物だと思います。
それはそれで結構なことだと思いますが、多くの人の人生は、年を取るごとに、少しづつ諦めることを覚え、現状に満足するように自らを慰める行為に他ならないと思います。
少年時代に思い描いた未来のとおりの人生を歩む人など、1%もいないでしょう。
私もまた、おのれの才能に見合わない将来を望みながら、それが叶わず、しがないサラリーマンとして生きる凡人の1人です。
しかし、この世は圧倒的多数の凡人によって成立しており、凡人がいなければ社会は崩壊してしまいます。
それを思えば、仕事がつまらぬとか、給料が安いとかいう愚痴は、裏を返せば社会を成り立たせる重要な要素であることを誇り高く宣言しているに等しい行為だと思います。
出世したいだとか、世間的な意味で成功したいだとか、それは素直な欲求だとは思いますが、精神障害発症以来、私はそうしたことに興味を失いました。
人生にとって最も重要なのは、日々の生活において幸福感を感じられるかどうか、それ1つに集約されると感じます。
私で言えば、なるべく気楽な席に座って平日をやり過ごし、休日には浪漫的な美術に接したり、浪漫主義的な小説を読んだり、美的な恐怖映画を観たりして、一種の現実逃避を続けながら生きていくことが最も幸福感を感じられる生き方だと思います。
もちろん、同居人や友人との語らいによっても幸福感は得られるでしょう。
要は、他人と比較しないこと。
私は私にとって世界一重要な人物であり、そうである以上、赤の他人もまた、それぞれに世界一重要な人物であることを思い知ることが肝要です。
私は確かに、あまりにも多くのことを諦めて年を重ねてきました。
これからも、諦め続ける年月を重ねることでしょう。
でもそれは良いのです。
それが何の才能もなく生まれた凡人が幸福に生きる唯一の道なのですから。