今日の午後、職場のトップから新年の挨拶がありました。
最初こそ、一日一善ならぬ、一日一洒落で、楽しい職場を目指したいなんて、にこやかに語っていましたが、ことがお金の話になると、途端に表情が険しくなりました。
予算が年々減額されていること、さらには国立大学等の研究機関が法人化される前の、文部科学省による護送船団方式が消滅してから10年以上がたち、私の業界も成果を挙げなければ次々予算が減らされ、最悪、お取り潰しも有り得ることなどが念頭にあるものと思われます。
時折新聞などで有識者が書いているとおり、現在の研究機関ではとにかく目立つ成果を挙げることが求められ、基礎研究や、文学や哲学など、金にならない分野は瀕死の状態です。
このようなことを続ければ、研究教育はほとんど金目当ての商売に堕し、遠い将来にはわが国の高等教育機関は死に向かうでしょう。
そんなことは、学術行政に携わる者は、誰もが分かっているのです。
しかし財務省は、例えばIPS細胞のような、目につく研究には湯水のごとく予算をつけ、地味な基礎研究はほとんど手弁当という状態を放置しています。
文部科学省やその所管機関も、それならばと、流行りの派手な研究にばかり目が向いています。
これは要するに、高等教育及び研究の緩慢な自殺と言うべきであり、それらの死は国家の自殺であるに違いありません。
なんとなれば、教育は国家百年の大計だからです。
今の学術行政は、百年先どころか、せいぜい数年先しか見ていません。
あまりに近視眼的というか。
私自身、そういう世界に身を置いて、やむを得ず流行りのやり方を踏襲して日々の仕事を進めていますが、内心忸怩たる思いをどうすることもできません。
私のような木端役人が、国の学術政策・教育政策をどうこうするなど夢のまた夢ですから。
新年早々、金が無い、金が無いから基礎研究は捨てるみたいな、いやぁな挨拶でした。