昨夜NHKで銀閣(慈照寺)の特集番組を放送していました。
最新の調査で、銀閣の二層は銀色に近い白い成分が貼られていたらしいことが判明したそうです。
子どもの頃、金閣の向こうを張って、銀箔を塗る予定だったが、予算不足で塗れなかった、と習いましたが、それは誤りであったようです。
修学旅行で銀閣を訪れた時は、がっかりしましたね。
きらびやかな金閣に比べて、まるで山中の小さなみすぼらしいお堂のようでした。なんで国宝なんだろうと、疑問に思ったことを思い出します。
番組では、月が現れてから天空高くのぼり、沈むまでを、様々な角度から一晩じっくり見られるように工夫が凝らされいたことが、CGを使って平易に説明されていました。
銀閣の向かいに渡り廊下でつながったお堂があり、ほろ酔い加減の足利義政が、月の運行に従って月を追うように二層から一層に降り、さらに別棟に渡って月と白く映える銀閣のコラボレーションを楽しんだのではないか、という想像は、とても楽しいものです。
一方、足利義政は応仁の乱にも目をそむけ、餓死者が大量にでても頓着せずに月や花に浮かれていた、無能の将軍というイメージが強くあります。
くやしくぞ 過ぎしうき世を 今日ぞ思ふ 心くまなき月をながめて
足利義政の和歌です。
くやしくぞ、とはよく言ったものですね。和歌としては反則とも言うべき歌いだしをあえて採ったことが、将軍としての情けない思いを強く感じさせますね。
西洋に目を向けると、バヴァリアの狂王、ルートヴィッヒを思い出します。
政治から逃避し、人工の湖に張りぼてのような人工の月を浮かべ、美少年たちを侍らせて悪趣味ともいえる芸術に酔った王様です。
同性愛者だったため、跡取りを残さず、変死しました。
多分重臣による暗殺だったのではないかと思います。
この王様を描いたヴィスコンティ監督の「ルートヴィッヒ」は、彼の人生を重厚に描いた一大叙事詩です。
美青年だった王様が、どんどん肥えていくのが、美食家の王族らしく、リアルでした。
「狂王ルートヴィッヒ」も感動的な評伝でした。
足利義政にしろ、ルートヴィッヒにしろ、権力を持つ者が厭世的な芸術趣味に走ると、民衆には辛いですね。
しかし私は、有能な権力者よりも、無能ではあるが異能でもある芸術趣味の権力者にシンパシーを感じてしまいます。
↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
