鎌倉新仏教

思想・学問

 私が日蓮宗の寺で生まれ育ったことは、このブログで何度か紹介しました。

 それで、不思議に思っていることがあります。
 日本版ルネッサンスと言うべき鎌倉新仏教の様々な宗派がありますが、日蓮宗だけが、宗祖の名前を冠していること。

 なんとなく個人崇拝みたいで、嫌な名前だなぁと思ってきました。

 また、教理についてもそうです。

 道元禅師が開いた曹洞宗は、座禅と公案によって、自力で涅槃にいたろうとするもので、大乗仏教華やかなわが国において、珍しく上座部仏教的な色合いを感じます。
 あくまで自力ということが最大の特徴でしょう。

 一方、法然上人が開いた浄土宗は、多くの人は自力で涅槃にいたる厳しい修行には耐えられず、また出家しなくても涅槃に至る道を探り、阿弥陀仏の本願にすがり、他力=阿弥陀仏の力によって、広く衆生を救おうとしました。

 さらに法然上人の弟子の親鸞上人にいたると、自らを煩悩具足の凡夫と呼び、半聖半俗と称して、少なくとも建前はご法度だった妻帯に踏み切り、しかも宗門のトップを世襲とするという、今のわが国の寺院で多く見られる形態の先がけとなりました。

 この浄土真宗は他力という考えを徹底させ、南無阿弥陀仏と唱える行為ですら、自力で行っているのではなく、阿弥陀仏の力によって唱えさせられているのだという、絶対他力という概念を打ち建て、文字も読めないような一般庶民でも絶対他力によって救われるのだと説き、爆発的な勢いで信者を獲得していきました。

 日蓮宗においてはどうでしょうか。

 法華経を第一に置くことと、わりと政治的な行動や過激な行動に出ることで知られていますが、正直、日蓮上人が学んだ比叡山の天台法華と、何がどう違うのかよく分かりません。

 ただ、天台宗は法華経も浄土教も禅も密教も何でもやる総合仏教というイメージがあり、日蓮宗は法華経一本やりというイメージがあるので、法華者といえば通常日蓮信徒を指すようです。

 また、法華経というお経は素人目に見ると、何が良いんだかよくわかりません。

 例え話と、法華経は素晴らしいという自画自賛が続いたと思うと、2仏並座のようなSFめいた記述があり、面喰います。

 江戸時代、27歳の白隠禅師が、世に名高い法華経とはいかなるものかと思ってわくわくしながら読んだところ、くだらんと思い、何十年も法華経を読むことはなかったそうです。
 それが老境に至って、再び法華経を読んだ時、その素晴らしさに気付き、感涙したと聞き及びます。

 今の私は、27歳の白隠禅師みたいなものかもしれません。

 日本文化があらゆる面で仏教的価値観から強い影響を受けてきたことは間違いありません。
 古典文学にしても、能などの舞台芸術にしても、美術にしても。

 しかし仏教ほど、教理の体系づけが曖昧で、全体を俯瞰して理解することが困難な宗教も珍しいでしょう。
 それでいてキリスト教やイスラム教のように殺し合いの言い訳に使われたことが無いという特異な宗教でもあります。

 あまり自由な時間はありませんが、仏教に関しては、生涯勉強し続けなければならないようです。


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