長い一年

その他

 今日は仕事納め。

    令和3年、長い長い一年の仕事が、やっと終わるのですね。

 そしてまた、非常に長く感じられるであろう令和4年という年を過ごさなければなりません。

 よく、時が過ぎることを、あっという間だった、と表現する人を見かけます。
 私には理解できない心性です。

 過ぎてしまえばあっという間とか言いますが、あっと言う間であるはずがありません。
 一つ一つ、その年に起きたことを思い出してみれば、一年は途轍もなく長いことが分ると思います。

 嬉しいこと、悲しいこと、苦しいこと。

 旨い酒を呑んだこと、旨い物を食ったこと、調子が悪くて飯を抜いたこと。
 診察のたびに精神病薬を調整したこと、増やしてみたり、減らしてみたり。
 親戚や友人が亡くなったこと、近しい人が子供を産んだこと。
 映画や芝居を観たこと、お花見をしたり、陽気の良い日に散歩をしたこと。

 365日、人は成長し、あるいは衰えます。

 私は緑内障で左目の視野が著しく欠損してしまってから、運転が怖くなりました。
 両目で見れば眼鏡をかけて1.2あるので、免許の更新は出来るのですが、視野が欠損していると承知で運転するのは、馬鹿げているような気がします。
 52歳、免許を返納するには早過ぎる年齢ですが、事故を起こしてからでは遅いと思うのです。

これが私の衰え。

 一方、腹を立てることがなくなりました。
 若い頃は、職場で理不尽だと思うことがあれば、相手が上司だろうがなんだろうが、喧嘩っ早かったのですが、随分丸くなりました。

 意見の違いがあれば、冷静に話し合うか、永遠に食い違うと分かったら、相手の意見を尊重しつつ、その話題に触れないようにすれば良いのです。
 感情的に怒ったり泣いたりするのは醜いと私は思います。
 
 これは成長なのか、衰えなのかよく分かりませんが、生きやすくなったことは事実なので、成長と受け止めましょう。

 来年の365日、先のことを考えると途方にくれますが、その日暮らしを続けなければなりません。
 その日をしっかりと生き、明日になったらまたその日をしっかりと生きる。
 この面倒くさい不断の行いこそが、人生というものなのでしょうね。

  
 それにしても運転免許の返納、どうしたら良いんでしょうねぇ。
 法的には視力だけが問題で、視野を問題視することはありません。
 したがって、私が免許を更新して運転をすることは法的な問題は全くありません。

 車の運転が怖くなったといっても、通い慣れた通勤路くらいならまだ大丈夫です。
 最近は同居人もよく運転をしてくれるので、通勤だけ私が運転して、その余の道は彼女に任せましょうかねぇ。
 
 新型コロナの流行で車で遠出しなくなったのも大きいかもしれません。

 運転しないのが当たり前になってしまいましたから。

 この、私にとっては重要な問題、これも次の365日で決着を付けなければならないのかもしれません。