長崎の原爆

社会・政治

 じつは私は、母が幼少の頃長崎で被爆した被爆2世です。
 
 そのせいか、あるいはそれなのに、私は8月のマスコミが垂れ流すセンチメンタルな被害者面が、腹が立つほど憎いのです。

 戦争で人が死ぬのに、拳銃も通常爆弾も原爆も変わりはありません。その人にとっては、ただ苦しんで死ぬのです。
 それを原爆被害者ばかり悲劇のヒロインのように仕立て上げるそのあこぎさは、詐欺師の技ともいうべきでしょう。

 日本人も中国人もイギリス人もアメリカ人もドイツ人も、個々人の被害が悲劇的なのは同じことです。

 戦争による悲惨ばかり言いたてたところで、将来の平和になんの役も立ちません。
 
 悲惨だといえば、応仁の乱も、前九年の役 も、後三年の役も、日清日露も、みな悲惨です。
 
 しかしなぜか、日本人は太平洋戦争の悲惨ばかり強調するのです。
 
 直近の負け戦だからでしょうか?

 二度の世界大戦に参加した国家の国民として、悲惨ばかり言いたてるのは、あまりにも不真面目だと思います。

 戦争に至ったその経過、理由、当時の世論などを、全国民がつぶさに学ぶべきです。
 起きてしまった後は、死力を尽くして戦うのが当然ですから、戦争の被害や加害を知るよりも、起きてしまう過程を知ることこそが、将来の平和に寄与すると考えます。
 
 先の大戦では、日本国民のほとんどが米英との開戦を望みました。
 日本は民主的な普通選挙によって、開戦に至る国会議員を選択したのです。

 ナチス・ドイツの例を見るまでもなく、大衆が圧倒的熱狂をもって戦争を支持すれば、政府はそれに従うのが民主主義というものです。

 それを阻止できるのは、世論しかありません。
 
 今、日本人は冷静に過去の戦争に至る過程を学ぶべきです。

 感情に流されず、冷厳な国際情勢を冷ややかに見る姿勢こそが、求められているのです。

 死んだ兵隊や一般庶民の苦しみに思いをいたす暇があったら、外交史を学ぶべきです。