二夜、伊勢で宿泊して、夜がとてつもなく深い闇に包まれていることを実感しました。
それは田舎に旅行するといつも感じることで、礼文島に宿をとったときや、霊峰、大峰山や天河弁財天の入り口の天川村に宿泊したときなど、強く感じたことでした。
古来、人が最も怖れ、鬼が支配すると考えたものが、夜の闇でした。
「日本霊異記」に、伊豆に流罪になった修験道の開祖、役小角(えんのおづの)が、
昼は皇に随ひて嶋に居て行ふ。夜は駿河の富士の嶽に往きて修す。(昼は天皇の命令に従って伊豆で修行した。夜は富士山に行って修行した。)
と、あります。
もちろん、そんなことは不可能で、これはフィクションと考えるべきですが、当時の人々の感覚では、昼と夜は時間の流れによって繋がっているものではなく、朝焼けと夕焼けによって全く別の世界が現出していたと思われます。
そのような例は枚挙にいとまがなく、例えば今では当たり前の、戦における夜討ちが、堅い禁忌であったことからも知れます。
民俗学者、宮本常一は、名著「忘れられた日本人」に、ある村で、文盲の人たちは底抜けに明るく、誠実で、例外なく時間の観念がなかった、と記しています。つまり時計が読めないから、お日様の具合によってしか時を感じることがなく、一時間とか、一分とか、そういうせせこましい考えがなかったのですね。朝と昼と夕と夜があっただけ、というわけです。
街に灯りがともるようになり、時計が普及し、私たちは楽になったかといえば、そうではありません。
勤務時間が定められてタイムカードで管理され、電車は一分でも遅れればお詫びの放送を流し、都会の人は十分間隔で動く電車の時刻表を見て本数が少ない、と不満をもらします。
灯りは深夜残業や徹夜仕事を可能にし、若い人は夜明けまで遊び騒ぐことを、オールなどと呼んではしゃいでいます。
これでは鬼の出る幕はありません。
人は昼を作り、鬼は夜を作るのだとすれば、人は鬼の世界を滅ぼそうとするかのごとくです。
あと二十年、無事働けたなら、深山幽谷に隠居して、鬼と昼と夜を分けたいものです。
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