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 日光レークサイドホテルの夜、日本人向けに大分軽めにアレンジされたフレンチのフルコースを食いました。

 去年、ここに宿泊するとき、フレンチのコース料理しか晩飯は無いと聞き、必ずやへヴィに違いないと思って心配していたところ、出てきた料理はびっくりするほど軽く、そこが気に入った理由の一つです。

 大食いの人は、パンをたくさん食えば良いだけの話で、それは日本旅館でいくらご飯をおかわりしても金額は一緒というのと同じことで、大食いの人の量に合わせるより、小食な人に合わせたほうが、お互い無駄がありません。

 私は生ビールとシャブリのボトルを空けてしまったせいで、パンは一口も食えませんでした。
 それでも、十分満足です。

 そのまま、ホテルの庭を抜けて、夜の中禅寺湖畔をそぞろ歩きました。

 月の無い夜、人工的な明かりの他は闇で、闇の上に、時折通り過ぎる車の音以外、静寂につつまれています。

 かつて人々はこのような静かで暗い夜を過ごし、それを克服して明るくて賑やかな、毎夜お祭りのような夜を欲し、電気を発明して、電力が途切れることを極端に怖れ、今も原子力発電の存続について賛否両論があるのですねぇ。

 その底にあるのは、人間が人間であるかぎり最も恐ろしい、闇への恐怖心。
 それがあるかぎり、人間は何が起きても電力を維持しようと努めるでしょう。

 人間が闇を怖れ、それを克服しようと努めてきた歴史こそが、そのまま人類の歴史なのだろうと思います。

 その一方、人間は闇を悪と同義と位置づけ、闇=悪に暗い憧れを抱き、それが怪異譚やホラー映画につながったものと思われます。

 「スター・ウォーズ」においても、ダークサイド=暗黒面に落ちた父親たるダースベイダーと、暗黒面に落ちずにジェダイの戦士であり続けようとする息子たるルークスカイウォーカーとの精神の暗闘を描きながら、善悪を超越した存在への憧れが感じられます。
 それは、善を善としか考えられない人にとっては、善悪の判断が単純化し、悪というイメージを植え付けられたものは悪であるしかないと思い込んでいることを端的に表しており、単純なSF映画とは言えない深さを持って、明るさを切望しながら闇を求める人間精神の複雑さを描いているように感じられます。

 だからこそ、あれほどヒットしたのでしょう。

 中禅寺湖畔の暗さと静寂を見て、人間の闇を感じなければいけないとは、私もまったく、因果なものです。