障害者虐殺

社会・政治

  本当にひどい事件が起きてしまいました。

 やまゆり園を深夜、ナイフで武装した同園の元職員を名乗る人物が侵入し、重度の障害がある方々を次から次へと切り殺していったとか。
 首をねらうという、明白な殺意が感じられるもの。

 19人もの障害者が犠牲になりました。

 被疑者は、日頃から、重度の障害がある者は生きていても仕方ない、などと主張していたと聞き及びます。

 聞き捨てならない暴言です。
 生きていても仕方がないなどと決めつけることが、どうしてできましょうや。

 私もまた、大分回復したとはいえ、障害者自立支援法の適用を受けている障害者です。
 障害者といえど、それぞれが出来る範囲のことをして、精一杯生きています。
 その命を奪うなど、しかもそれを正当化しようなど、許しがたい悪魔の所業です。

 かつてナチは、ユダヤ人のみならず、障害者や同性愛者などを次々とガス室送りにしました。
 それを彷彿とさせる今回の事件。

 第一報を聞いたときは、精神障害社で責任能力を問えない者の犯行なのかと思いましたが、その後の被疑者の主張や、首を狙って確実に殺害している点などに鑑みて、十分責任能力を有するものと推察します。

 責任能力が問えるのであれば、19人殺害という規模からみて、死刑以外の選択肢はあり得ないと思います。

 私は強い死刑廃止論者ですが、現在の刑法が死刑を認めている以上、最高刑を課すほかありません。

 悪法といえども法なり、という言葉を残してアリストテレスは毒杯をあおったと言い伝えられます。

 私は死刑は悪法だと考える者ですが、現在の法制度が変わらない限り、この悪法を適用するのもやむを得ないとも思っています。

 重度の障害者を大量に殺害して、おのれは国家に殺されるとは、なんともバカなことをしたものだと思います。

 私たち、特に若い人たちは狭い視野で魔術的思考に陥り、それが正義だと信じてしまう傾向があります。

 魔術的思考に堕ちることがないよう、健全な教養を全ての人が見に付けることが急務だと実感したしだいです。