私は外国人宣教師が去った後も密かに信仰を持ち続けた隠れキリシタンに不思議なほど惹かれます。
捕らえられれば拷問の末に死罪となるのが明白なのに、また、指導者たるべき外国人宣教師がいないのに、よく信仰を保持し続けたものだと思います。
外国人宣教師が国外に退去させられ、あるいは殺害された後、隠れキリシタンを指導したのは、バスチャンと呼ばれる日本人であったようです。
ある村でキリシタン狩りが行われ、生きたまま600人ものキリシタンが海に投げ込まれたそうですが、岸に打ち寄せる遺体をせっせと葬ったのがバスチャンだったとか。
そのバスチャンも役人に囚われ、3年半もの監獄生活の間、78回も拷問にあっているとか。
よく生きていたものです。
いよいよ首をはねられると言う時、バスチャンは四つのことを言い残しました。
1、汝らは七代までは、わが子とみなすがそれ以後は救霊が難しくなる。
2、コンエソーロ(聴罪司祭)が大きな黒船に乗ってくる。毎週でもコンビサン(告白)が申される。
3、どこでもキリシタンの教えを広めることができる。
4、途中で異教徒に出会っても、こちらから道譲らぬ前に先から避けるであろう。
バスチャンはキリスト暦に精通しており、その暦が信仰生活にメリハリを与え、四つの遺言が希望を与えたことでしょう。
面白いことに、7代後、220年後に、フランス人神父を得、キリシタンたちは再び救霊の恩恵に浴することができたのです。
バスチャンの死後220年、隠れキリシタンたちはいつか予言が叶い、司祭を得、堂々と布教し、道の真ん中を歩いて行ける時代が来ると信じたのですね。
その間の隠れキリシタンの胸中というものは、想像しにくいものがありますね。
仏教なり神道なりに形だけでも帰依すれば、気楽に生きていけるものを。
それなのにいつも役人の影におびえ、捕えられたなら殺される運命にある、その毎日というものの緊張感たるや、まさに常在戦場とでも言った気分だったのではないでしょうか。
キリスト教の教えを「天地始之事」という書物に著し、聖母マリアをさんた丸やと呼び、キリスト教は日本人だけで密かに信仰をしている間に、土着化が進みました。
土着化が進んだからこそ、キリシタンは生き残ったのでしょうね。
興味深いことに、江戸幕府がキリスト教を固く禁じ、転べば命は助けるという方針を棄て、キリシタンを捕えたなら有無を言わさずただちに処刑する、という苛烈な方針を立てるや、にわかに諸外国のキリスト教徒がわが国を目指し始めたというのです。
それほど殉教への欲望は大きかったのでしょうか。
イエスにしても、聖セバスチャンにしても、マゾヒストにとってはこれ以上ない究極のプレイの果てに亡くなったようなものですし、その上死後は殉教者として讃えられるのだからこんな良いことはありません。
江戸幕府がこのような血ぬられた宗教を受け付けなかったのは当然といえましょう。
信仰の自由がある今も、わが国にキリスト教は根付かず、これからも根付くことはないでしょう。
私は仏教・神道・儒教などの良いとこどりをして成立した日本教とでも言うべき空気のようなものにどっぷりつかっており、それはたいへん心地よいことです。
それだけに、苛烈な道を選んだ隠れキリシタンたちの心性がいかなるものであったのか、興味深く感じます。
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